SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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温暖化問題懐疑派の人達の発想

私は、温暖化問題懐疑派の人達の発想をフランス革命以前の貴族の発想と似ていると思っている。当時のフランス国民は貧困に喘ぎ、苦しい生活を余儀なくされていた。病気になっても子供を医者にかからせる事の出来ない様な不幸な日々を送っていた。その反面、貴族は贅沢三昧の暮らしで、貧しい国民から重税を搾り取っていた。だからこそ、フランス革命が起きたのだが、ではなぜ、その貴族と環境問題懐疑派の人達が似ているのかというと、私達先進国の暮らしは、まさにフランス革命以前の貴族の暮らしと同じであり、発展途上国の人々の暮らしは、正に昔のフランス国民そのもので貧困に喘いでいる。

安定した安全な暮らしをし、自由を謳歌する貴族と、不安定で危険な暮らしを余儀なくされている平民の暮らしの対比が、そのまま、先進国と後進国の関係につながって来るのである。人は上にいると、底辺にいる人たちの気持ちなど意に介さない。それは歴史に何度も出てくる理不尽な現実だ。

温暖化問題では既に、氷河が溶ける事によって水不足になり、食事や生活に必要な水すらも手に入れられず困っている人達がいる。すでに温暖化は人々の生命を脅かし始めているのだ。しかし、そういう底辺の人達の暮らしと私達の生活のなんと差が大きな事か、蛇口をひねれば必要な水が必要なだけ手に入る私達の豊かさと安定からは、彼らの苦しさは分からないのである。だからこそ、温暖化問題が深刻だと思わない、政府の陰謀だとか、幻想だとか言ってしまえるのだ。自分に痛みが伴っていないので、他人の痛みを理解できない訳だ。

私が言いたいのは、自分達の亊ばかり考えるなという事だ。もっと他人の事を見て、よく考えるべきだと言いたい。自分達が出した二酸化炭素によって、温暖化が起き、それによって氷河が溶けて、水不足が起き、既に命が脅かされている人達がいる。そう思えば、環境問題を解決しようとするのは、人が人の命を助ける様な自然な事である。だから、それに疑いを抱く事などは、全く不自然な事なのだ。

己の自由を主張するのはいい、だがそれは他人の自由を尊重できてこそ、本当の意味で自由なのだ。自分の自由が欲しいから他人の自由を奪ってもいい、他人は関係ないというのであれば、それは自由じゃない。それは横暴というのだ。

真に自由を愛する人は、他人の自由も尊重できる筈だ。

理不尽な理由で他人の自由を奪う事を屈辱だと感じられる人こそ、本当に自由を愛する人だ。私はそう思う。

自由といえば、この曲を思い出す。フランス国家「ラ・マルセイエーズ

この曲は自由の反対の横暴に対して、そんなものには屈しないぞ!という歌である。私は育ちが悪いせいか、こういう反骨精神に溢れるものが好きである。