SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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不幸の普遍化

日本社会において「仕方がない」という言葉が使われる。その心情は察するが、不幸に対して従順なのはよくない。私の祖母は不幸を安易に肯定してしまう人だった。「世の中とはそういうもの」という安易な不幸の普遍化によって、理不尽と思いつつも、肯定する様に私に諭す事が多かった。

しかし、その教えによって私が得たものは、幸福ではなく、不幸であった。当たり前である。幸福になる為の努力(抵抗)を一切しないのだから。

そういう意味で、私は祖母に不幸になる為の教育を受けていた。祖母がどうしてそんな発想になったのかと推測するならば、過酷な人生に適応した結果だと思う。つまり、あまりにも辛い人生に適応する過程で、不幸を普遍化する術を覚える事で、不幸を普通の事として解釈し、精神的に生きながらえる事に成功したのだと思う。

問題は、そういう発想でなくとも生きていける時代になってからも、その発想を続け、あまつさえ、子供にそういう事を教えた事にある。貧しく過酷な社会において、それは必要な事だったかもしれないが、豊かな社会ではむしろ、幸福になる為の努力をするという発想の方が適正だと思う。なぜなら、絶対的なルールなど存在しない社会なのだから。ルールを自分で変えられるのに、それを変えようとせず、ただ従順に従うというのであれば、いつまでたっても自分の意志が反影されず、不幸なままだ。

変えられるルールを、自ら変えないというのであれば、変えられなかった(不幸な)時代と何ら変わらないのである。