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義務と成果

義務と成果

義務とは、やるべきことであり、やって当然のこと、成果とは努力して得た結果と私は解釈する。成果を義務と混同すると、それを実現する為に払われた努力は無視され、軽視される事になる。なぜならやって当然のことだから。一生懸命やったことが、やって当然のこととして扱われたら、誰でも腹が立つ。

本来、努力は正しく評価しなければいけない。正しい努力をして成果を上げたならば、それに報いることが公平な人間のすることであり、指導的立場にいる人間はそれを尊重しなければいけない。もし、それをしなければ、人は努力するだけ無駄だと感じる事だろう。

この不公平なシステムを社会的に実践したのは、旧ソ連社会主義経済である。人の努力を平均化してしまう社会システムは人々のやる気を奪い、それがソ連がアメリカに敗北した要因の一つになった。

日本の成果主義が問題なのは、本来成果を正当に評価するべきものが、実際のところ、給料を減らすための口実として使われたからである。つまり、公平に評価し努力に報いるためではなく、ただ単に給料を下げて、経営を安定化させるために成果主義を導入した。結果として努力を正当に評価するよりも、いかに給料を下げるかというのが日本の経営者の発想であり、結果としてモチベーションを最低にすることに集中した為に努力をする人は、努力が正当に報われないと思い、努力をしない人は給料が下がって不満である。まるで旧ソ連の様である。(給料を下げるために使われたので、努力する人はそのまま、努力をしない人は給料が下がったのだ)

導入の際のコンセプトが間違っていたのだから、それも仕方がない。「公平さ」よりも経営という「全体の利益」を最大化しようとして、成果主義を利用しようとしたのだから。つまり、成果主義全体主義的な発想で実現しようとしたのだ。本来それは、相いれないのである。(それは旧ソ連的な発想でアメリカ型資本主義を実現しようとしているようなものだ)

また、日本社会ではチームで成果を出す事が多い、故に評価しなければいけないのは、チーム単位の成果でなければ公平にならない。しかし、これも評価の対象にしないことでチームワークがバラバラになり、成果主義を導入したのに成果が上がらない結果となった。そもそも、成果主義に必要な公平な価値観に対する意識が低いまま導入したので失敗して当然だったのかもしれない。

さらに、成果と義務を混同したことにより、革新性に問題が生じた。ソニー成果主義を導入してから、製品が面白くなくなった。私も成果主義が革新性を妨げるとは思っていなかったが、その具体的なやり方を見て「こりゃダメだ」と思った。なぜなら、成果を自分で設定して、それをどれだけ実現できたかというシステムだからだ。こんなやり方は、新しいことをやるのには極めて不適だ。なぜなら、新しいことというのは、誰も今までやったことがないのだから成果を予め設定することなど最初から出来ない。成果が設定できるのは、過去にやったことがあり、結果(成果)が予測できる状況に於てである。新しいことにはこれが存在しない。予測が全く出来ないのだ。

故に、成果を出そうと思えば、過去に評価されたことに集中することになる。そうなると新しいことはしなくなる。結果としてソニーの製品はスペックが豪華だが面白みの欠ける製品が増えて、最終的にそれはアップルや任天堂に負ける結果となった。

つまり、成果と義務を混同すると、公平性に問題が生じる。本来それらは分けて評価しなければいけない、そうでなければ努力をしても無駄だということになり、その結果、全体のパフォーマンスが落ちて、競争に負ける。

新しいことを長期的に実践するためには、成果主義のような短期的で結果をハッキリ求めるやり方は向かない。チームで成果を挙げている組織に個別の成果を求めたら、チームとしてのパフォーマンスが落ちる。成果を正当に評価するための仕組みに対する意識の低い日本の経営者に成果主義は無理、不公平の温床になるだけ。

故に成果と義務を混同したとき、それは最低の結果を生む。つまり公平性を実現し、社会に活力をもたらす為には、成果と義務を明確に分け、公平に評価する事でモチベーションを高める亊が必要だ。しかし、曖昧な文化の日本では、物事を明確に分けるという事が苦手でしばしば多くの事を混同して扱う。結果として、日本にとって成果主義は負のモチベーションを最大化する事につながった。

負のモチベーション
・協調性:チームワークはバラバラ(チームで評価するべきを個別評価したから)
  チームと個人の混同(組織としての総合力が落ちた)
・革新性:新しい事よりも結果が予想できる古い事(ベンチャー融資などが貧弱)
  過去と未来の混同(未来を正確に予測できるのならば仕事などしていない)
  (革新性がなくなった)
・公平性:努力しても報われない(給料を下げる為に使われたから)
  全体の利益(経営)と個人の成果の混同(やる気がなくなる)

結果として、日本の会社は、成果主義を導入した結果、組織力が落ち、新しい事が出来なくなり、社員のやる気が落ちた。原因は評価の仕方が極端に単純すぎて現実にマッチしていないからである。平たく言うと最低(未熟)

では、どんな評価が正しいと言えるだろう。私はスポーツに例える事が出来ると思っている。バスケットボールを例にとると、シュートを入れる奴よりも優れたアシストをする奴が評価される事がある。上司とは、スポーツチームの監督のようなものだ。得点をあげる奴も評価するが、それに結びつく優れたプレーをする奴も評価する。日本の成果主義の問題点は、シュートを入れる奴ばかり(目に見える得点だけを)評価して、パスの巧い奴や、守備のうまい奴を評価していない。これではチーム全体が監督に不満を持つのも無理はない。よい監督はチームに何が必要かを理解し、それとマッチするプレイを正当に評価する。そうすることで、試合に勝てるのだ。理想を言えば、スラムダンク安西先生みたいな評価が出来る亊が望ましい。

資料:スラムダンクの登場人物
http://ja.wikipedia.org/wiki/SLAM_DUNK%e3%81%ae%e7%99%bb%e5%a0%b4%e4%ba%ba%e7%89%a9