SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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アイディアを軽視すると人材がいても生かされない。

青色LEDなど、アイディアを軽視する会社は日本企業には多い。世の中にはアイディアを出せる人はたくさんいると思う。しかし、それが生かされないのは、アイディアの価値を理解できる周囲がいないこともさりながら、そのアイディアに対する敬意も足りないと思う。日本企業の価値観は、実務家中心の感覚が大勢を占めているので、アイディア一発で、全体を一気に変えてしまうという素晴らしい業績を上げても、それは、それを実現する人間あってこそなのだからと、アイディアを言う人間を軽んじる風潮がある。それは、実務的に見れば、そうかもしれないが、その実務家だけで躍進が出来たかと聞けば、彼等には出来なかっただろう。

なぜなら、彼等はアイディアの価値を軽んじているし、それを生み出すのにも実務と同じような苦労や積み上げが必要なことを理解していないからだ。同じ実務家が成果をあげたら、敬意を示せても、別の方法論で自分たちをはるかに超える業績を上げたら、評価をしないというのは公平さを欠く、それの何が問題かというと、アイディアを出す人が出さなくなる状態が生まれるのである。せっかく苦労してアイディアを生み出して成果を上げても、評価もされず、敬意も払わないのであれば、それを評価してくれるところへ行ったほうが得だし、そう言うところにアイディアを持っていった方が良い。つまり、人材流出とアイディアがあっても他へ持って行くことを考えるようになるのである。つまり、金の卵を産む鶏を飼っていても、その鶏は自分の所で産まなかったり、他のところへ逃げることを考えているわけである。

アイディア(特許)は、会社のものとか言って、アイディアをネコババするのもダメ、二度と、アイディアを出す人がいなくなる。それを見た周囲が、アイディアを出しても損だと思ったら、その周囲までもアイディアを出さなくなる。よって、アイディアをネコババするのは、一時は得のようでいて、後になって、その周囲までもが干上がって井戸の水が枯れたような状況になる。だからダメなのだ。よって、もし私がCEOであれば、アイディアを出す人間は厚く遇することにする。良いアイディアであれば権限も報奨も敬意も与えるであろう。そうであってこそ、周りも金の卵を生むようになるし、金の鶏も自分の所で生むようになるのである。公平であってこそ有能な人材が活かせる。それを軽んじたり、権限を与えなかったり、報奨も与えないというのではリーダーとして失格だ。そういうケチはダメである。どうも成果主義になってから、無駄を節約をする良いケチではなく、人の成果をネコババしてケチろうという悪いケチが広まっていると感じる。

未来を枯らしてしまうケチはダメだ。みみっちいケチはダメ。あの豊臣秀吉がなぜ出世したかといえば、部下が成果をあげたら、報奨をケチるなんてことはしなかったからだ。優秀な部下たちが揃っていて、それに耳を傾ける柔軟さ、公平さが、彼の出世の原動力だった。だが、天下人になって、それがなくなった途端、秀吉の天下は傾き始めた。つまり、優秀なものをきちんと評価する公平さがないと、その優れた能力を生かせない。成果を上げても評価しない、敬意を払わない、そのような状態では、その会社がどんなに大きくても未来はないであろう。それは、恐竜がいかに大きくても、状況に適応できなかったら絶滅したように、大きかったり強かったりしても、それが公平でなかったり、柔軟でなかったりすれば、未来は閉ざされ、滅ぶ運命にあるのである。だから、アイディアは、きちんと評価しないといけないのだ。