やったことに対する対価が支払われれば、人はやる気が出る。思えば、祖母は人のやる気を挫く人だったと思う。祖母は、人が何かをしたとき、それを義務として捉えていた。
つまり、祖母にとって、人が何かをするのは、その立場の役割(義務)を果たしただけであり、当然であるという解釈なのだ。このような発想の人の下についている人間はたまらない。何をしても、やる気がなくなる。
どんなことでも、何かをしてもらったら感謝するのが、人の道であり、そこから外れた人間を外道と呼ぶ。祖母は正に人間として外道だった。祖母の義務の範囲は広すぎて、人を苦しめるレベルだった。
義務を広く解釈すれば、その義務による受益を得る側にとっては極めて好都合だが、提供する側には多くの労苦が伴う割に正当な対価が支払われないという事にもなりかねない。
そういう意味で、やる気とは、やったことに対して何らかの対価を支払ったことによって生まれる。笑顔でもお金でも感謝の言葉でも何でもいい。とにかくそういうものが、やる気を生みだす。
逆にそういうものを認めず、対価を支払わないケチな人の元では、やる気は生まれない。