SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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正義の味方 ドラマ

最近、水曜日の10時の正義の味方を見ている。暴君の姉に虐げられる妹の気持ちがよく分かる。私の義理の姉も、ああいう姉っぽかった。「テレビのチャンネル!」「はっ」という感じで、私はリモコンと化していた。当時のテレビはリモコンがなく、ダイアル式であり、チャンネルを変えるには近くまで行かないといけなかったのだ。あまり動作が遅いと「どうして、お前は分からないのかねぇバカじゃないの」と言われていたものだ。これが小学生に言う言葉かとも思ったが、強い姉には勝てないので仕方なく従っていた。逆らうともっと痛い言葉を言われるのが当時の私には辛かったのである。

そういう暴君の義姉に対して反感があり、義姉が結婚すると聞いて、容子の様に万歳三唱したのを覚えている。「やった!暴君は去った、自由だ」と思った。だから、容子の気持ちはよく分かる。ついでに結婚してからも、家に帰って来る姉を容子が苦々しく見ていたのも、とてもよ〜く分かる。

私の好きな映画にスパルタカスがあるが、義姉はまるでローマである。それで私は奴隷。もう一つ好きな映画は十戒で、義姉はエジプト、私はユダヤの民。あの海が裂け、自由へのドアが開かれる瞬間が神々しく思えるのは、私の様な体験をした人間ならば、誰もが思う事だろう。

あの作品の中の姉にはいい所がある。それは、ある程度まともな理由を用意して相手を批判する事だ。例えば、ラーメン屋でチャーシューの枚数を文句を言う時、それは広告と実物が違っているという理由であり、まとも(正論)である。普通の人は黙って見過ごすが、あの姉はきちんとそこを突いてくる。

たとえ暴君であっても、それなりに秩序がある点が評価できる。最悪の暴君には理由が存在しない。あるのは己の価値基準であり、それだけで人を裁く権限を持っている。そこに文句を言うと黙殺するという人間が最も恐ろしい。己が狭い価値観を他人に押し付け、己の考える枠内に人を押し込めてしまう。そういう体験をしているので、強権的な法律が出てくると、一生懸命、私は反論する。暴君とは何なのかよく知っているから(笑)

そういう目線で見ると、正義の味方に出て来る姉は、ある程度まともに見えてしまうのだ。もしかしたら、あのドラマの面白さは、正論を言って通る事かもしれない。