SKY NOTE

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仮想正義

仮想正義

偽善者の正義を言い換えるならば、「仮想正義」である。実体を伴わない正義という意味である。私は根拠のないことを信じない。でも、世の中には根拠がなくても、自分が正しいと強く信じることが出来る人がいる。それは要するに根がないのにどうして芽が出るのか?という話である。

根は根拠であり、芽は信頼である。

根拠のない信頼にも色々あるが、仮想正義に属するのは、自己愛的信頼である。つまり、「我は正しいと思う。ゆえに我は正しい」という客観性のない正義のことである。彼らの自己に対する信頼の根っこには何もない。あるとすれば、自己愛的な無茶苦茶な論理だけである。そういう独り善がりな偽りの根っこから生まれた芽(信頼)もまた、偽りなのである。

私が偽りを避けるために行っていることは、まず疑う事から始める。そうすることでリアリティを追及することである。奇麗事の危険性を知っているので、単純な正しさは、氷の上で急ブレーキを踏むような愚行だと思っている。だからまず、正義という観念よりも、具体的な目標を設定し、それを達成するのに妥当な方法を選ぶ。不可能な事を無理にやると弊害の方が大きく、却って問題を深刻化させるので避ける。

こういうことは誰にでも出来ることだ。誰だって経験を積んでいるので、常識が分かっている。しかし、実際にはそういった常識よりも幻想の方が実践される。それは、幻想の方が耳障りがよく、皆が共感しやすいからだ。私はそういう幻想には共感しない。幻想の裏にある危険を知っている私にとって、それは、天使の顔の裏側にある魔女の微笑みを見るようなもので恐怖の対象なのである。

そういう幻想的な共感が権力になり、社会において偽善が行われ、それによって弱者が苦しむ。彼らは弱者を見ているのではない。都合の良い幻想を見ているだけなのだ。私から見れば、そういう行為は無責任で許せない行為だ。許せぬから、考えることが出来る。しかし、同調ばかりをしている人間にとって大事なのは、弱者が苦しむ事よりも、自分が集団に異を称えて孤立する事の方が恐ろしいのである。

仮想正義はそのようにして実践される。そして、その勇気のなさが(真に恐れるべきものを知らない事が)弱者を苦しめる。悪だけでも弱者には辛いのに、正義すらも彼らの敵になってしまうのだ。そうやってよってたかって、弱者をいじめ抜き、死んでしまう人も出てくる。だから、正義を論じる時には、正義を実践する対象(救うべき対象)をよく見て、現実的になるべき。人がどうこう言う前に、何をどうすれば相手を救えるか具体的に考える事が大切なのだ。同調する人はよく考えないで、隣の人と同じ意見を言いたがる。それは最低の偽善(仮想正義)だという事を肝に銘じて、安易に同調せず考える慎重さを持ってほしい。その慎重さこそ本当の正義だと私は思う。

最後に
「根のないものに芽は出ない」と言っておこう。そのくらい慎重であるくらいが正義を論じるには丁度いい。