SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

強いだけでは正しくないと言われる理由

歴史を理解している人ならば分かるだろうが、力だけでは正しくないのだ。しかし、人は何らかの力がなければ生きていけない。でもなぜ、力だけでは駄目なのか?今日はその事について書きたいと思う。

世間を眺めれば力がなければ駄目だと思う人が大半だろう。しかし、正当性を欠く力は時の流れには逆らえず必ず滅びるのだ。つまり、世間という横の世界では力は正しいが、歴史という縦の世界では正当性を欠く力は早晩、衰えて滅びる。つまり、実質的には弱く、その結果として正しくないという事だ。

力の乱用は、その力の寿命を縮める。故に正しくないという事なのだ。では、その衰える間にやりたい放題やればいいじゃないかと判断する人間もいるかもしれないが、やりたい放題やって、それで人を傷つければ、それ相応の報復と離反は覚悟しておいた方がいい。そういう意味で最後に負けるやり方だといえる。

同時多発テロ以降、アメリカが取るべきだった戦略は、イラク戦争ではなく、世界連邦の樹立にあったと思う。もし、ブッシュが賢明にもそういう判断が出来ていれば、今頃世界連邦の創設者として歴史に名を残しただろう。でも、今は無能な過去の大統領として扱われている。つまり、正しくないやり方をした人間の末路は惨めなものだ。それがアメリカ大統領という地球最高の権力を以てしてもそうなのだ。

正しい者は、最後に栄冠を手にする。ただそれが、その人の生きている間という保証はない。だが、それに対して誇りを持っていい、なぜなら、それが人の生きる道であり人類の歴史が続く原動力なのだから。もし、それに違える行いをしていたら、環境問題を見れば分かる通り、地球レベルの報復にあって人類は滅びの道を歩むだろう。

正しい方法を選ぶと良いのは、もし、ブッシュが世界連邦を樹立したら...というくくりで考えてみると分かりやすい。もしそういう英断が出来たら、世界は今と全然変わっていただろう。多くの国が連携し、地球温暖化の問題でも今とは違う次元で議論が進んでいただろう。完全ではないが一つにまとまった世界を歴史上初めて私達は目にしていた筈だ。

しかし、己の力を過信し、一時の感情に踊らされて戦争をしてしまったアメリカは、今はイラク戦争からどうやって手を引くか一生懸命考えている。アメリカ大統領選の争点は、どうやってこの泥沼から抜け出すかという事である。つまり、誤った判断は自らを泥沼に突き落とし、正しい判断をしたものは、燦然と輝く栄誉の元にある。この明暗の差が力と正しさの違いである。まさに雲泥の差だ。ブッシュには世界最高の権力があった。しかし、それを乱用した為に、それを失った。たとえ最高の力を有していても、その扱いを間違えれば後は惨めなものだ。今やブッシュは大統領選の陰に隠れて忘れられかけている。

プーチンは、やり方が強引であり、悪も行ったが、ロシア国民を豊かにする為に奔走したので評価され、大統領の任期を終えるであろう今でも権力は衰えず、その座にとどまっている。プーチンとブッシュの違いは、ブッシュが利己的な発想で行動したのに対し、プーチンは強引ながらもロシア国民全体の利益の為に働いた。この点が後々の評価の違いになって現れたといえる。

そういう意味で正しさとはどれだけの人にチャンスを与えたかという事かもしれない。そして過ちは、どれだけの人の機会を奪ったかという事にあるのかもしれない。戦争をして多くの若者の命を奪ったブッシュは、忘れられて当然だったのかもしれない。そういう意味で、真の力は正しさの中にある。もし、正しさが、力と、それを持続した時間にあるとするならば、力のみに溺れる事は、時間方向の力を削ぐ事になるから、間違っているといえる。

カストロ議長を見るとそれがよくわかる。彼がアメリカに独裁者といわれながらも権力の座にとどまり、国民の支持を受け続ける事が出来たのは、彼がそれ相応に正しかったからだ。国民という味方が沢山いたので、アメリカの経済封鎖にも耐え抜く事が出来た。と、このように間違った者は早々に滅び、正しき者は長く生き残る。そういう意味で...歴史はいつも私達にこう述べている。

「一時の力に溺れるよりも、後々の事を考えて、正しくあれ」