SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

悲観主義のルーツ

ニュースを見ていて、人が物事を認めるパターンを見てみた。
1.何かの権威によって認められたもの(権力/権威/行列の様に他の人が認めるもの)
2.パッと見で分かるもの(見た目)
3.お金の規模(大きい程、認められる)
4.感動するもの(いいもの)
5.いい気持ちにしてくれるもの(お世辞か、それに近いもの/奇麗事)
 
あまり考えずに分かるものが多い事。瞬間的に分かるものが多い。私の場合は、この全てにおいて、まず疑う。

1の権威というものは、大抵日本の権威は当てにならない、おべっかばかり言うからだ。そこで疑われる。例えば、映画などで面白いものやつまらないものがある筈なのに、それと矛盾した営業スマイル的な記事が多いのは疑いの対象になる。また、それを商売だからといって安易に認める社会も私は認めない。商売だから嘘をついていいのか?という事になるし、インターネットがこれほどまでに普及した段階では、そのようなおべっかは意味がない。それでもなお、嘘をつき続ける姿勢を私は疑う。政治家だけでない癒着構造をそこに見るからだ。
 
2のパッと見で分かる事、これも疑いの対象になる。すぐに分かる事の裏を読もうとするのが私の発想。大抵、短期的に良くなる方法とかそういうものには副作用がある事が多い。なので、危険性も含めて慎重に見ようとする。つまり、良すぎるものは、そこに危険が潜んでいる場合が多いので余計に慎重になる。その背後の仕組みが分かった段階で認める。
 
3のお金の規模、お金の規模の実態、特にモラルについて検証する。なぜなら、お金の実態は「この紙切れは1万円の価値がある」と国が認めた信用証書なのだ。つまり、お金の実態は信用である。また、株券も同じで「この株券は、これだけの価値がある」と市場が認めた信用証書である。故に信用が崩れれば、お金も消える。だから、そのお金の土台がしっかりしているかを疑ってかかる。
 
4の感動するものは、演出のテクニックを検証してしまう。つまり、ニュースの効果音などは切り捨て、事実だけを見ようとする。それがトータルで見てどのようなものかを検証してから認める。これは嘘を見抜く時にも役に立つ。なぜなら嘘とは演出だから。
 
5いい気持ちにしてくれるもの、これは自分の自尊心を検証する。褒められればうれしいが、相手がなぜ褒めるのか、その検証をし始める。
 
このように私は疑い深い。前段階でまず検証する。
 
このように見る事で、嘘を見抜き、誇張を無視し、事実を見据える。それでもミスを起こす時がある。それは情報収集を十分にしなかったり、過去の経験がいつのまにか適用できない状況に変わっていたりする時だ。(経験で分かっていると思い込み、そこは調べなくていいと考えてしまいミスをする)だから、分かりきった事でも、基礎的な事はきちんと調べる必要がある。基本がミスってると大きな失敗を招くからだ。だから、分かりきった事でも、それが基礎的な事であれば「そんなことわかっている」と否定してかからない。基礎であればこそ舐めてかかると(かなり)痛いからだ。
 
だから私から見ると、多くの人が認める基準はとても甘い。そういう見方をする私をひねくれていると思う人がいるのならば、その人はウサギの耳が長い事をひねくれていると言っているのと同じだ。ウサギは「ひねくれている」から耳が長いのではない。「弱い」から耳が長いのだ。強者がいかに強くとも弱者の知恵にかなわないのは、そういう耳の長さが、逆に強者を滅ぼす事もあるからだ。同時に耳の長さがあっても、油断すれば、その瞬間に負けてしまうのが弱者。だから、先の先まで予想する癖がついている。
 
しかし、予想し慎重すぎて、それが自分を縛ってしまう事がある。私が弱いとすれば、そこが一番弱いところだ。弱さが悲観主義を産むメカニズムは、これで分かる。立場が弱すぎる人間の自己防衛本能が悲観主義なのだ。そういう意味で、勇気とは、そういう本能を抑え込む理性の様なものかもしれない。