SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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過去がルールの人

過去がルールの人(階級主義 男尊女卑/上下の区別:儒教の誤った解釈)
自分がルールの人(単なるワガママ)
形式がルールの人(些細な事で他人に大きな労力を強いる:礼の誤った解釈)
合理がルールの人(空気読めないのではなくて、分かっていて読まない人)
 
この四つは、私の家族だった。この家族の特色は、これらが突出していることだった。それぞれに全く違う論理で突出しているので真ん中にいる私は辛かった。
 
まず、
過去がルールの人には現在を主張して反発し、(現在の公平/平等を主張した)
自分がルールの人には他人の立場(私の立場)を主張して反発し
形式がルールの人は実利で反発し、
 (正しい礼の解釈:礼は人の為にあるのであって、礼の為の礼は必要ない)
合理がルールに人には正しすぎて歯向かえなかった。
 
現在も、自我も、実利も、どれも皆大切であり、合理だけでは人は割り切れないこともまた真理である。だが、それだけ私が正しくても、私は何も得られなかった。なぜならば、正しさと、それを実現する方法は必ずしも一致しないからである。
 
私がしなければいけなかったことは、全体を包括的に見据えることだった。即ち、戦略眼である。単純に個々の要素に反発しても無意味だったのだ。少なくとも四つ全てに同時に対応するのは精神的にも体力的にも無謀だった。実際問題、精神的に疲弊してどうにもならなくなってしまっていた。労力的に大きすぎて精神的にオーバーヒートを起こしてしまっていた。
 
そこで、私が全体を見るということは、どういうことか、模範解答を述べるとすると...その問題の本質を理解し、そこに一点集中突破をはかるべきだった。
 
具体的には、私が実利を主張して反発して勝ちそうになっても、自分がルールの人に、きちん自分の意見を言って勝てそうになっても、過去がルールの人に我慢させられた。つまり、問題のコアは過去がルールの人だと気づくことだった。つまり、四つの問題のうち、二つには本当は勝っており、実質的に、三つの問題は一つの問題であることに気づくべきだった。(要するに二つの問題を解決しようとすると、絶対権力で邪魔をして来る人がいるので勝てない。その邪魔をして来る人を何とかすれば良いのだ)私が集中的にターゲットにするべきは、過去がルールの人と合理がルールの人に絞られ、また、合理がルールの人の場合は、道理で動くので基本的に問題とは考えないとすると、最大の問題は過去がルールの人に集約するのだ。つまり、諸悪の実体は過去がルールの人という事になる。私は、そこに集中して対処することで自我と実利と現在を手にいれることが出来たのだ。
 
私は複数の問題が同時にあることに絶望し、気力を失っていたが、問題の本質は一つであることに気づくことだった。過去がルールの人に対抗するのは難しいかもしれないが、単に反発するのではなく、無視をすればいいのだ。真っ向から戦う必要はなかったのだ。このことにより、過去がルールの人間の権利は失墜する。権力とは尊重されるから、その実体があるのであって、無視をされれば存在しなくなるものなのだ。無視する事で、子供の頃の私は健全な生活が送れたと思う。さて、これが現実の問題とどう繋がるかというと、政治と民衆の関係も同じだと考えるのだ。
 
過去がルールの人:既得権政権(長期政権で腐敗した政党)
形式がルールの人:官僚(奇麗事で社会を疲弊させる官僚)
自分がルールの人:腐敗した役人や政治家(ワガママな人達)
 
形式もワガママも、それは過去がそれを養護しているからこそ、成り立つのである。故にそこを叩けば、三つの問題が一気に消滅する。そして、今年は衆議院選挙がある。過去を否定する勇気を持つことが未来への道となる。私の子供時代は何もいいことはなかった。もし、いいことを望むのならば、過去を切り捨てる勇気こそ大事だ。子供時代の私にはそれがなかったから何もなかった。だが、今の私は違う。己の過ちに気づいた私は過去を捨てる勇気がある。なぜなら、そうしないと自分を失ってしまうから。
 
大事なのは自分である。そして、それは単なるワガママではない。なぜならば、私は古い人よりも新しく、形式を望む人よりも実利を重んじ、自分がルールの人には他の人間の立場を見ろと言っていた。共通するのは外の論理であることだ。

過去は現在ではない(過去は過去、今は今)
形式は実利ではない(形式は意味なし、実利こそ意味がある)
私はあなたではない(私は私、あなたはあなた)

すべてにおいて、外向きの発想である。過去も形式も自我も、それらは内向きの論理であり本来、他人に押しつけるべきではないことだ。なぜなら、それらは全て頭の中の観念の世界の事だから。現実ではない。私が自分を正しいと言えるのは、その現実性において、明らかに私の方が勝っていたからである。
 
正しいことを行えなかった諸悪の根源は、過去にあった。故に過去を集中的に否定することが、この問題に対する最善の答えなのだ。子供の頃の私は力の入れ所を間違ったのである。そして今の日本の閉塞感もまた、私の子供時代の閉塞感と同じ様に思えて仕方がない。
 
解決策は、選挙で白紙投票する事ではない。それは私の子供の頃と同じで単なる負け犬と同じ、問題から逃げているだけに過ぎない。選挙で政権交代を促し、権力の交代を国民の意思で示す事。大事なのは、その一点。
 
今の民主党を見ると、一見、無謀に見える一手だが、これが示す実際の効果はでかい。民主党そのものよりも、権力が交代しうるという可能性を示す事に大きな意味がある。そうすることで、過去の権力が失墜し、最終的に国民の手に権力が戻ってくる。つまり、国民主導の政治が行われる一歩となりうるのである。