SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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環境を経済学で見る時の問題点

現代の経済学の歴史はたかだか数百年、地球の歴史は数億〜数百万年である。数百年程度の歴史と経験しかないもので、数億数百万年の歴史ある地球を捉える事など到底無理な事なのである。なぜなら、数百年という短い歴史の中で理解しているレベルの事態を地球の歴史は軽くこえているからである。つまり、現在の経済学の想定外の事態が起きたとき、従来の経済学ではそれらに対応する経験は全くないのである。
  
故に経済学者の理論には、その実効性の証明という点で限界が生じるのは無理からぬ事なのである。それは未来の事を皆が知らないのと全く同じ理屈である。しかし、一部の経済学者は、その限界のある理論体系をまるで神の啓示のごとくふりかざして、現実世界に影響を与えようとしている。彼らの目には理論は神の様に映っているらしく、それに対して疑いの目を向けていないようだ。この段階で彼らは過ちを犯している。
  
例えば、食料自給の問題点で、戦争状態にならない限り問題は起きないと言っているが、環境問題が深刻化すると、その戦争状態を上回る状況が起きうる事を彼らは想定していない。人命という観点から言って、本来想定するべき事をしないという点で、彼らは無責任である。どうやら彼らは人命よりも理論を尊重するようである。(想定基準が甘すぎ、その甘い基準の動機は恐らく自説や自論の正当化にあるのは明白だ。なぜなら、それ以外にそんな甘い基準を設ける合理性がないからだ)
  
現代の経済学の根本的な問題点は、長期的な問題に対して無防備であるという点である。将来に生じるコストが実態経済の流れの中に組み込まれていないのだ。その結果、短期的な利益の追求により、資源の浪費と環境破壊を経済が助長するという結果になっている。
  
そういう現実的な対応が出来ていないのに、自らの正しさを主張する点に病的なものを感じる。現在の経済学を一言で言うと、瞬発力という点では優れているが、持久力という点で大きな問題を抱えているといったところだ。