SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

アイディアに対価を支払う必要性「1%のインスピレーション」

アイディアに対価を支払う事は必要なことであるが、対価は法外であってはならないと思う。しかし、日本の場合、適切な対価すらも払わないのは問題かもしれない。つまり、タダはダメだ。アイディアを出す人が飢え死ににするか、アイディアが集まってこない事になる。それ即ち停滞である。

義父との会話

 義父

  • 「お前、バカだな、黙ってりゃ賢く見えるのに」

 自分

  • 「そんなメッキを貼って何になるのか、メッキなんてすぐ剥がれてしまう。そんなものに、何の価値があるのか」

 義父

  • 「お前はそういう考え方か」

 自分

  • 「そう」

私が天才の義父との会話で理解したこと、ウソは簡単に見破られる。そして、能力の低さはすぐバレる。虚飾を繕おうとも、それらは見破られれば、全く意味が無い。特に私のような人間は。

虚飾というのは、それを維持するためのコストを支払い続ける事を意味する。私の場合、そのコストは割高に見える。スーパーで買物をする時、見た目の悪いものが半値以下で売っている事があるが、中身の品質は同じ事が多い。私の思想は、品質重視であり、外側は、それほど重要ではない。外面は軽んじられない程度あればいい、それで十分。ただし、私のような低能なものは、その能力の低さから、軽んじられても仕方がないと思う。辛いことだがそれが事実なのだから、仕方がない。

私はある人に「ウソもつき続けて真実にすれば、真実になる」という含蓄のある言葉を聞いた。だが、それに対する私の受け答えは「それをするのはとても大変ですね」というもので、要するにつき続けるだけのコストが自分に払えないという主旨の言葉だった。これは、私が体力に自信がないからであり、それをやり抜くだけの体力に自信があれば、やってみる価値のあることである。私には体力という才能がない。努力するのにも体力という才能が必要なのである。

私のような人間は、少ない体力、低い能力をいかに消耗させずに効率よく運用することが重要だと思っている。その中でできる事を考える。幸い、私は洞察力はあるようで、予測したり分析したりできる。これも大した能力ではないが、恐らく自分の僅かな能力の中で使えそうなものと言ったらそれくらいなのだ。例えて言えば、それは、財布の中に10円玉や1円玉しかない中で、50円玉くらいの価値がある能力だと思う。特に、情報はタダだと思っている日本社会では、その程度の価値しかない。また、情報を活かすのには、それを実現する力がいる。よって、その力のない私の洞察力の市場価値は、その50円玉程度で1万円札とか5000円札ではない。日本社会の場合、アイディアだけは盗用して、全く対価を支払わない企業はざらにあり、皆さんのよく知っている某有名企業も、その様な企業になってから傾き始めたといえる。その会社名は伏せるが、ハッキリ言って、そう言う事を続けるのならば、潰れてしまえと言いたいところ。というか、続けているから傾くんだけどね。

なぜ、アイディアに対価を払う必要があるのかというと、それは全体を俯瞰してみれば分かる。確かにそのアイディアをタダで使えば、その時は安く抑えられていいだろう。しかし、それは1回きりだ。つまり、そのようなことをした企業や人間にアイディアを提供する人間はいなくなる。つまり、長い目で見ると、対価を支払うことは、長期投資という形で帰ってくる。つまり、対価を支払うことで再びアイディアが提供されるという機会を得ることになる。

逆にそれを支払わないと、アイディアは、他のところに行く、自分の競争相手かもしれないし、そもそもアイディアを出す人間がコンビニでバイトするような状況に陥るかもしれない。アイディアというのは、基本的に弱者が生み出すものだ。能力がないからこそ、それを補うためにアイディアを生み出す事が多い。例えば、車輪の発明を見れば分かる通り、あれが腕力のある人間が発明したかというと、そうではないだろう。腕力が足りない人間が発明したに違いない。しかし、アイディアというのは、情報であり、コピーしてしまえば、タダで使える。つまり、アイディアをタダで使う場合、その弱者からアイディアという情報だけを貰って対価を支払わないと何が起きるかというと、弱いから餓死するか、低い給与で細々と暮らすことになる。そして、新しいことが生み出されないので、社会全体が停滞する。

特に弱者を救う良いアイディアほど、そういう弱者から生み出される。だから、アイディアには、適切な額の対価を支払うべきなのである。しかしながら、TPPが要求している人の命まで犠牲にするような法外な特許コストなどは論外なのである。それは、社会の存在を軽んじている。私はアイディアの貢献度はエジソンの言葉...

「1%のインスピレーションがなければ、99%の努力は無駄になる」

にあるように、努力の価値99%、インスピレーションの価値は1%と考えている。私が対価として設定している額は1%である。それが妥当だと思っている。ただ、日本の場合、1%ではなく完全なゼロなので、それが問題なのだ。ゼロでは食えない。だから、特許を申請したりして、権利化する必要があったりする。特許にならないようなものでも有用なアイディアがあり、そういうものに対しても対価を支払う文化はあるべきだと思う。(アイリスオーヤマ生活用品デザインコンクール)私は、そういう創造者に対する適度な敬意が日本には足りないと思う。アメリカの姿勢は、強欲資本主義の水増し請求の方便に成り果てているので論外。あれは、医療費を特許料という形で水増しして人を実際に殺している。人殺ししてまで権利を貪るのは、どうかと思う。

だが、1%くらいは対価を支払うことで、創造者も飯が食えるようにするのが社会にとっては得になる。なぜなら、社会がその分だけ進歩発展するからだ。そう言う人間はコンビニでバイトするより、アイディアを考えたほうが社会全体にとっては、パフォーマンスがいいので、対価を支払うのが良い。繰り返し言うが法外でない適度な対価をね。創造者は、レアメタルに似ている。それを微量混ぜると鉄の強度が倍になったり、液晶ディスプレイの発光材料になったり、新しい価値を生み出す。微量であるが、それに価値がある。そういう存在なのだ。だから、その微量な存在を維持するのに1%程度の対価を支払うのは、妥当だと思う。そうすることで社会のパフォーマンスが20%、30%伸びるのだから。全体を俯瞰してみると、その方がお得なのである。賢明であれば、良いアイディアに対し、法外でない妥当な対価を支払うことは、損ではないと判断できるだろう。しかし、TPPのように100%、200%、要求するのは間違っている。それは、社会にとっては損害である。


保険料や特許など知的所有権で、水増しされたアメリカの医療費は、諸外国に比べ倍の医療費となっている。日本に比べれば2.8倍。これは法外である。