SKY NOTE

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リトルウィッチアカデミアに見る希望の価値

TOKYO MXで日曜24:00からやっているアニメ、リトルウィッチアカデミアが面白い。何が面白いのかというと、希望をテーマにしたアニメだからだ。この作品の主人公のアッコは、希望とガッツしかない落ちこぼれ魔女見習い、リトルウィッチアカデミアの生徒、学園の仲間たちと一緒に魔女になるために日夜、一人前の魔女になるために励むというストーリー

 

自分が面白いと思ったのは、希望についてなのだ。自分は希望を見失いやすい。最初は希望を持っていても、段々とやる気がなくなってしまう。その理由は、アッコの姿をみて分かったのだ。それは、主人公のアッコは、魔女になりたいという憧れで動いているという事だ。憧れというのを、この作品では、美しいものとして描いている。自分はそこに感銘を受けた。

 

主人公のアッコは、才能がない。リトルウィッチアカデミアで、唯一、魔女の家系ではない普通の人間の出身。これは、自分の生い立ちとよく似ている。私は養子で天才の家系に来た。才能がない、レベルが違う。結果というものを考えたら、周りと当たっただけで、凡才と天才がぶつかり、自分の方が粉々になる。そういう結果を追い求める私は、結果が出ないという考え方から、すぐに希望を失ってしまう。

 

でも、アッコは違う。結果が出ようがでまいが、自分は魔女になるんだという憧れだけで動いている。アッコと私と何が違うのか、それは、私が結果という利にとらわれているのに対して、アッコは憧れという美学で動いている。利と美学とでは、本質的に違う価値観だ。利と美の違いは、結果が出なかったらおしまいの利の世界と違って、結果が出ようがでまいが、私はそれが好きなんだからそうするという美学は強い。その強さは利を考えるものよりも遥かに純粋でパワフルである。そして、美しい。そう思うと、大事なのは、希望を保つのには、利ではなく美なんだなと、この作品を通じて思った。そういう美学で考えれば、希望を失わない。なぜなら、利益が出ようがでまいが、私はそれをしたいんだからそうするからだ。

 

普段、他人から要求されるのは、利の論理だ。金を稼げ、結果を出せ、そういう理屈を実践しようとすると、いくらでも汚い方法を思いつくが、それをやりだすと、私のアイディアを使って儲けたのに、私には一銭もよこさない連中と同じになってしまう。私は、それは許せない。利の論理は、やる気が出ない。生き残る為に仕方なくやるのならば、それは許せる。だが、私の場合は、それをしなくていいと思っている。私にはアイディアがある。それを実践する希望さえ持続できれば、アイディアが具現化できる。そして、そのアイディアに私は自信を持っている。なぜなら、この作品のなかにあるシャイニーロッド(伝説の魔法の杖)をアイディアという形で私は持っているから。希望という魔力さえあれば、私には恐いものはない。利の論理では、魔力を持続できない。なぜなら、それは美しくないからだ。しかし、美の論理であれば、その限りでないという事をアッコの姿から見いだせた。