SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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選挙と機能不全社会

私が孤独になってしまったのは、私が社会の持つ煩雑さを嫌ったためであった。高校時代の最後の年が最も私にとっては辛かった。言いたいことを言えない世界で私は苦しみ過ぎたのかもしれない。人が嫌になった。何かといえば、黙れとかオカシイとか言われるのだが、何がオカシイのか、何が問題なのか、具体的に私に説明できた人間はいなかった。要するに私に対する批判というのは、いつも曖昧なのである。きちんと具体的であれば、私は聞く耳を持つのだが、大抵は社会がどうだとか、人がどうだとかという説明で終わる。では、社会が具体的に何なのか、人が具体的なんなのかという説明はまるで聞けない。

私は具体論が明確にできない主張の多くは、単に普通は、正当化出来ないことをもっともらしい言葉を使って正当化しているにすぎないと受け取る。曖昧な主張で正当化する行為を権威主義と受け取り尊重しない。故に私は人を批判するときに具体的に文句を言う、何が問題なのか、どうするべきか、きちんと説明する。そういう事をすることがフェアな主張だと思ってきた。私が納得できるレベルで物事を具体的に説明できたのは、義父だけだった。だから、私は義父の説明には耳を傾けた。説明がきちんとしていたからである。

今思えば、私は自分の家族を通して社会を見すぎてしまったと思う。というのは、私のいた家は、一般的には普通に見えるが、今思うと実におかしな家だった。精神医学の情報がネットに流れていて、機能不全家族というのがピッタリ当てはまった。その中に、虐待を放置するという項目があった。まさに私が受けた精神的な圧力を祖母は我慢しろと命令し続けた。普通は、その逆に、そう言う圧力をかける人間を批判するべきなのに、人が追いつめられるまで我慢させる家だった。今、福島を見ていると私の家と同じように思えてならない。放射能で人々が虐待されているのにもかかわらず、それを我慢しろとか、放射脳とか言って批判する人間のしていることは、まさに機能不全家族とピッタリ当てはまる。そういう意味では機能不全社会というのもあるのだと思う。

私の家の機能不全を起こしていたのは、祖母だった。祖母があらゆることに我慢しろという指示を出していた。問題は、全体にそれを強いれば、それはそれで、秩序が安定するだろう。だが、祖母の問題は、半分の人間は我慢させず、もう半分の人間は我慢させるというダブルスタンダードを設定していたことだった。この結果、問題を起こす人間と、問題をひたすら耐える人間に二極化してしまうのだ。祖母の発想では、問題を起こす人間は「言うことを聞かないダメな人間だから、何を言っても無駄」と解釈されていたように思う。そして、辛うじて言うことを聞く人間を、「マトモだからいう事を聞かせる」という形式で判断していたように思う。というわけで、マトモな人間ほど苦労する家だった。要するに祖母は自分のやっていることが、社会的にどういう結果を招くかということを想定していなかった。それが見えない段階で祖母はあまり頭の良い人じゃなかった。物事を行うとき、それは公平であらねばならない。なぜなら、そういう価値基準に歪みが生じると、そこに不平等や不公平が生まれるからだ。祖母は自分の主観で人を裁き、その行いは公平さを欠いていた。本来、一番上に立つものは、そういう事をしてはいけないのだ。人によって態度を変えるという下にいるものの発想で、上にいる人だった。上にいる人間には全体に対する責任があるのだから、その判断は公平であらねばならないが、何時まで経っても下僕の発想が抜けきらない人だった。

その結果、不公平なジャッジを行い状況の二極化を招いた。そう思うと「選挙に行っても何も変わらない」と言っている人たちが祖母と重なって見えるのだ。つまり、問題の多い人間を放置する姿勢、それが社会的にどういう問題が生じるかということを考えず、ただ、こういう人間は何を言っても無駄だと判断し、処断するなり、罰を与えるなどしないで、放置する。これは問題である。虐げられるものと虐げるものに二極化する。そんな考え方は、主権者として上に立つ者の考え方ではない。下の人間の発想だ。上に立つ人間は全体に対して責任がある。だから、全体を通して、それをすることが、どういう意味につながるのか俯瞰しないといけない。無視して、対処した場合、どういう結果を招くのか、常に俯瞰する必要が上に立つものには必要なのだ。下の人間のように上の言っていることをただやっているだけではダメで、全体がどう有るべきかという意識を持って、行動せねばならない。選挙というのは、いつもは政治的には下の私たちが、上に立てるとても、貴重な機会だ。この機会に全体を俯瞰し、この国がどう有るべきかという事を真剣に考えて投票用紙に記入して欲しい。