SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

間接的な殺人「事なかれ主義」(大津市の亡くなった中学生について思うこと)

私が事なかれ主義を「間接的な殺人」と断罪するのは、人が厳しい問題に直面し、精神的に参っているとき、事なかれ主義ほど冷酷な考え方はないからだ。その冷たさが人を殺す。私は昔から、この考え方を嫌悪してきたが、実は、この考え方は日本社会に根づいた発想であり、とりわけ特別なものではない。

つまり、誰もがこの「間接的な殺人者」になる可能性があるのだ。そこで今日は、この間接的な殺人者にならないためにはどうするかということを考えてみたい。まず、実例から、大津市の中学生が自殺の練習をさせられて、その後、本当に自殺してしまいなくなった事件について考えてみたい。

まず、その生徒は泣きながら、先生に助けを求めたということであるから、その時に先生が助けていれば問題は解決したか、または、生徒の孤独が癒され、自殺を思いとどまった可能性がある。私が、少年がどのように死を選んだのか、大体想像がつく。私もまたいじめられた人間であるから、分かるのだ。

まず、いじめた側というのは、大して他人を傷つけたという自覚はない、なぜなら、人を痛めつけても、自分は痛くないからだ。むしろ、自分が他人を痛めつけることで、何となく彼らは優越感に浸っているように思う。このようなことをする子供の家というのは酷い家が多く、親もダメな場合が多い。そういう人間は、世間にはいくらでもいるので、ある意味、空気中に無数にいるバイキンのようなものである。存在を否定することはほぼ不可能なものなのだ。ではどうするか?

大事なのは、そう言う人間の犯した問題を周りがどうリカバリーするかである。連中のやっていることは、恐喝、脅迫、障害、殺人であり、立派な犯罪である。私もマットに閉じ込められて息がつまり、咄嗟に死んだ真似をして命からがら抜けだした事があるので分かるのだが、連中は遊びの延長で人を殺しかけるような危険なことをする。要するに危険だということを理解する感覚が鈍い、結果として遊び半分で他人の命を弄ぶようなことをしてしまう。でも、そう言う人間は世の中にはゴマンといるのだ。だから、そう言う人間を責めてもしょうがない、バカは世の中には一定量かならずいるのだから。

問題は、バカでない普通の人達が傍観者になることである。彼らは危険だということも知っているし、良くないことだということも知っている。しかし、自分がそういうものに巻き込まれたくないので距離をとっている。その気持ちはある程度、理解する。ここで重要なのは、一人で立ち向かわないことだ。必ず、何人かでスクラムを組み、悪いことは悪いことだということが大切。一人だと、ミイラ取りがミイラになってしまう。私は、そういう子供たちの連携を塾が壊してしまったと思っている。塾によって子供の集会の集まりが悪くなってガキ大将がいなくなり、組織的に動くことができなくなった結果、悪いことが行われているとき、一人で対処できないと思ってしまって傍観してしまうのだ。でも、同じように傍観している人たちも悪いことは悪いことだと分かっている。大事なのは、そういう人達と連携することだ。ガキ大将がいた頃は、リーダーとなる年長者が問題があれば、皆で集まって、連携して対処していたのだが、集合、作戦立案、行動に至るまでのプロセスに対する演習がガキ大将がいなくなった事で出来なくなってしまったために、個々の人間が分断されてしまい、解決不能になってしまった。

でも、今は首相官邸前のデモを見れば分かるようにTwitterのような技術がガキ大将の集合の役割を果たしており、新しい形で連携ができるようになった。これにより、重要になってくるのは、作戦立案、行動となった。事なかれ主義を脱出するためには、悪いことは悪いという信念と、それを実現するための連携と作戦行動である。このプロジェクトマネジメントが出来ないことが、結果として、事なかれ主義を生んでいるのである。そういう意味で事なかれ主義とは、マネジメント能力の欠落が生んでいるのである。マネージ出来ないから問題を放棄する。それが事なかれ主義の実態である。ある種の能力不足なのである。大事なのは、状況をマネージしようとする「決意」と、それを実現するための「連携」である。それが私達が「間接的な殺人者」にならないために必要な事なのである。

「ひとりで対処できないときは、みんなで対処、それが必要」by skymouse

事なかれ主義は、場合によっては人を殺す可能性がある危険な行為だということを肝に銘じましょう。