SKY NOTE

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民主的独裁

今、私達が沈黙している状況を一言で表すと、民主的独裁である。普通は、独裁というのは、民主的なものではないが、市民自らが、間違った状況を放置し、黙認していることが、ある種の独裁を延命している点から見ると、民主的に放任、あるいは容認された独裁政治ということになる。

非常に恥ずかしいことだが、日本の民主主義は機能不全を起こしていて、そう呼ばざる負えない。言うべきことを言わないことが何をもたらすのか、それは、それによって犠牲になる人達がいて、それらを私たち自らが見捨てているということなのだ。人間として、それは恥ずかしいことだ。この恥ずべき行為をしているという自覚が、日本人のどれくらいいるのか?

人として誇りがあるのならば、恥ずかしいが、その誇りすらなくなっている人間には、どうでもいいことなのだろう。そう思う。マザーテレサが、言った言葉を思い出す。愛の無い状況は何かというと、無関心であると言っていた。正に現在の日本は愛がない。まるで、愛というものを忘れてしまったかのようだ。私は、愛がとても大事なことを知っている。なぜならば、愛がないところでは、心がすさみ、そして、苦しみが多いということを私は自分の子供時代に身を持って体験しているからだ。

機能不全家族という奴で、自分の立場が蹂躙されていても、事なかれ主義で黙らされる。福島県民自らが、自分の声を発する事が憚られるという状況、これは、正に機能不全家族ならぬ、機能不全社会、正義を腫れ物にさわるような目で見るのは、正に機能不全である。本来腫れ物にさわるような目で見られるべきは、福島県民を実験台にしている政府や行政、そして、その背後にいるアメリカである。でも、そう言う強い奴を敵に回すのが恐いものだから、皆黙っている。でも、それじゃダメだ。やられっぱなしになる。例え弱くとも、主張する奴はイジメられない。

主張して排除するべき、どんなに強い奴も煩い奴には手を出すのをためらうものだ。女性のヒステリーと同じだ。女性自体は弱い、男が力づくで支配しようとすれば出来てしまう。でも、男は女性のヒステリーに弱いのだ。弱くても煩さで勝てる。そういう戦い方がある。煩いと周りの目が厳しくなる。それがつけ目なのだ。だから、ガンガンうるさく言うことが大事なのだ。だから黙っていてはダメ。そういう煩さが結果として、民主主義になる。だから、デモで騒いで何になるというかもしれないが、その煩さが、人々の注目を引き、そして、人々の目が政府や行政に向けられることが大事なのだ。だからある意味、煩いという事自体が民主主義なのだ。そして、沈黙こそ独裁なのだ。そういう意味で、冒頭の民主的独裁は、沈默的独裁ということも出来る。

民主主義が主張によって成り立っている以上、煩いのは当たり前、黙っている方がオカシイ。