SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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対価の対称性(公平)と裁き

対価の対称性にこだわると、人を裁かなくてはならなくなる。
「水清くして、魚住まず」と言われるように、この考え方では人はついてこない。

しかし、物事を正確に捉える為には、この対価の対称性を徹底することが大事なのだ。しかし、誰もその正確さを望んでおらず、むしろ多少間違っている事を望んでいる部分がある。
 
そういう意味では、「濁れるがごとし」というのが人が住んでいける(望んでいる)世界である。人が住む世界と、正確な認識に必要な考え方にはズレがある。このズレに対して、私は昔、「おまえの言っていることには妥協がない」と言われた。
 
つまり、正確さを維持する為に妥協を許さない姿勢が、妥協がないと言われる所以なのだ。この考え方は、正確さを追求する為にはベストだが、人望という意味ではワーストとなる。
 
さて、このベストとワーストのギャップをどう調整するべきか?という事が重要な命題となるのだが、そもそも何の為に正確さが必要かということに戻るべきかもしれない。私の正しさの根拠は、対称性である。つまり、これが正しいというのが最初に決まっているのではなく、物の値段と同じで、妥当な水準を値踏みをしているわけである。これにあまり差がありすぎると、不公平、不平等になり、ダメだと思うのだが、人が、そういう不公平、不平等を望むのを間違っていると主張すると、大抵は、人間の自尊心とぶつかっていくわけだ。
 
人は対称性(公平)よりも己の尊厳を望む。その気持ちは分からないでもない。そういうことに理解を示しながら、公平な方向に誘導していくYES,BUT法で対処するべきかもしれない。
 
妥当な対価を支払わない主張は、基本的に私は認めないのだが、子供の主張は大目に見る。なぜなら、子供の場合には、正しさよりも自尊心の方が大事な場合があると認識しているからだ。この考え方を大人に適用するのは、相手を子供扱いしていて、失礼かとは思うのだが、世の中的には、そうやって大人を子供扱いするのが大人らしい。何だか変な話なのだが、ここに答えがあるように思える。
 
つまり、正しさと尊厳の優先順位を入れ替える妥当な理由は、その尊厳を認めない限り、人は言うことを聞かず、正しいことも行えないという事なのかもしれない。私は子供とは仲がいいのは、彼らの自尊心を私が大切にするからなのだが、その結果、彼らも大抵、それに答えてくれる。多分、そこら辺に答えがあるのかもしれない。
 
子供の顔を見ると「人は尊厳を認めることで前に進む」と感じる。尊厳とは、心のエンジンなのだ。このエンジンがかからない限り、人は動かない。そういう意味では、動かさないと始まらないので、まずは、エンジンプラグを点火させることに意識を集中するべきかもしれない。