SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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悪平等とは何か?

悪平等とは、結果の平等である。本来の平等は機会の平等であり、結果の平等ではない。例えるならば、かけっこにおいて、誰もが同じスタートラインに立つ、これが平等、そして、誰が一番早いか競うとき、順位がつく、これが公平な結果、つまり、スタートラインを平等にして、最後は公平に判断をする。これが世の中の本来あるべき姿。悪平等は、「公平」であるべき結果を「平等」にしてしまう。それによって何が生まれるのか?そもそもかけっこをする理由がなくなってしまう。つまり、誰が一番早いか競争する事によって皆が頑張る訳だが、それがみんな同じにしてしまう事で、皆が努力する理由がなくなってしまう。

要するに悪平等は、人のやる気をなくさせてしまうのだ。この様な事をしてしまうと、何をしても結果が同じという事になり、誰もが怠け者になってしまう。そうなってしまえば、社会全体が疲弊してしまうので、悪平等は否定されるのである。過去の事例では、中国の人民公社がある。人民公社では皆が給料が同じ、つまり、結果の平等である。頑張った人間も頑張らない人間も同じ給料なので、頑張った分だけ損だという事になり、人民公社は疲弊していった。最終的には人民公社はなくなり、実力主義的な形に変わった。

つまり、悪平等的なシステムは、怠け者製造機みたいなものでシステムとして継続が出来ないのである。よって、結果においては頑張った人に公平に利益が行き渡る様に配慮する必要があるのである。そうでなければ頑張る人がいなくなるから。

本来の平等は全ての人に機会(希望)を与えるが、悪平等は全ての人から希望を奪いダメにする。平等で公平な社会では頑張る人を増やすが、悪平等は怠け者を増やす。そういう意味で悪平等は怠け者(破滅)の哲学と言ってもいい。(動物のナマケモノは、破滅しない、なぜなら、不必要な搾取を行なわないという堅実な生き方をしているから)

悪平等が否定されるのは、それが頑張る人間を潰してしまうからだ。どんなにやっても同じ結果ならば、やる気がなくなる。だからダメなのだ。人のやる気をダメにしてしまう事、それが悪平等の本質なのだ。