SKY NOTE

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戦争と個人の争いの違い

戦争と個人の争いとを同列に考えている人が多くいると思うので、戦争と個人の争いの違いについて、書きます。

個人間の争いのおいて報復は一定の意味を持ちます。しかしながら、戦争の場合、報復が報復を呼び、なかなか終わりません。それは、現在のパレスチナの状態を見れば分かるでしょう。それは、争いの行動単位が個人と組織による違いがあるからです。個人間の争いであれば、お互いか片方の怒りの炎が燃え尽きれば終わります。しかしながら、これが集団や組織になると中々消えません。なぜなら、怒りの炎が別の人間に燃え広がるからです。それを例えて言えば、個人間の争いは、薪の火とすると、戦争による怒りの火は核による火と言えます。薪の火は、燃え尽きれば終わりですが、核の火は福島第1原発を見れば分かる通り、いつまでたっても消えません。その分、厄介なんです。つまり、ひたすら核分裂をし、延々と燃え続ける。報復が核分裂のように連鎖し、拡大し、継続するというのが戦争の特徴です。

現代の戦争の厄介なところは、その消えない怒りの炎の先に核兵器があることです。これを使用することは人類としては絶対に避けないといけません。まかり間違うと、人類文明そのものを滅ぼしかねない。故に、戦争をしないというのは、ひとつの見識として正しいと言えます。人類文明の継続を願うのであれば、そういう結論になるのです。

要するに戦争という大規模な争いというのは、一旦、始めてしまうと、個人間の争いと違って、延々と続き、しかも、それが大規模であり、そして、大量に人が死ぬ。人が死んでしまうと元には戻せないわけで、再帰不能な事態が大規模かつ延々と継続する。それが戦争の怖さ。最近は、それに核兵器が加わり、まかり間違うと人類文明そのものが破滅するかもしれないわけで、そこからすると、個人間のやったらやり返すという発想では、現実に追い付いていないと言える。というのは、やったらやり返すことの連鎖が延々と繋がっていき、最終的には,人類全体を滅ぼすまでに科学文明が進化した時代において、そのような考え方は時代錯誤も甚だしいと言わざる負えないのであり、また、戦争の持つ継続性、拡大性を全く考慮に入れていない浅はかな発想といえる。