国家戦略特区について
- 基本的にTPPと同様のもので、規制緩和を促し、企業の利益を最大化し、庶民の景気を悪くするものである。内容としては国ごとに締結するのがTPPとするならば、東京や大阪など、地方都市毎に行われるのが戦略特区である。そして、TPPからiSD条項を抜き出したものといえる。
さて、これの何が悪いのか、それは、これを推進している連中の顔ぶれを見ると分かる。国家戦略特区は、2つの組織で編成される。
1.国家戦略特区諮問会議(議長:安倍晋三、実質的なキーマン:竹中平蔵)
2.国家戦略特区区域会議(地方の首長など)
竹中平蔵といえば、小泉政権時代に経済関係の要職にいて、いわゆる「構造改革」を主導した人物である。そこで、一番有名な小泉政権時における労働者派遣法の歴史的経緯を書いてみたい。
1986年(中曽根内閣)
労働者派遣法成立。専門性の高い13業種に限定。
1999年(小渕内閣)
製造・建設・港湾・警備などを除き原則自由化。
2003年(小泉内閣)
製造業への派遣を解禁。
それまでも段階的に派遣業種は拡大していた事がわかる。しかし、小泉政権がなぜ厳しい追求を受けるのかというと、従来、規模的に限定されていた派遣業が製造業を含めることで、規模を飛躍的に拡大したことにある。その結果、年越し派遣村という状況が生まれ、多くの労働者が貧困に喘いだのは言うまでもない。また、小泉政権の時に急激に企業の内部留保や配当金が膨れ上がっている。このように小泉構造改革より後、労働者は賃金を富裕層(法人、富裕層)に搾り取られ、日本は第二のデフレ経済に突入したのである。
第一のデフレ経済:バブル崩壊後の経済低迷によるもの
第二のデフレ経済:小泉構造改革後の経済低迷によるもの
本来、小泉政権の頃には、日本は不良債権問題が終決し、成長経済へ向かう事ができたはずであった。しかし、小泉構造改革により、労働者の賃金を抑え、企業の利益誘導を積極的に進めた結果、小泉政権後にデフレが深刻化し、本来は10年で終わるはずだった景気低迷が、さらに10年加算される礎を作ったのが小泉政権の構造改革の実態である。
小泉政権(2001-2005)
一人あたりのGDP(世界順位)
2000年 3位
2001年 5位 小泉政権発足
2002年 8位
2003年 9位
2004年12位
2005年15位 小泉政権終了
小泉政権中、みるみる順位が下がっていくのが分かる。
その証拠に、この小泉政権時に増えた配当金や内部留保を労働者の賃金に転換できていれば、現在のようなデフレ経済にはならなかったと考えられる。それを構造改革と称して、企業が労働者の賃金を下げて利益を追求することを推奨し、その上、日銀が通貨を発行しなかったため、デフレが深刻化し、日本経済は低迷した。つまり、日本の経済の低迷は、構造改革による労働者の賃金低下と通貨発行量の不足がもたらした政策的なものである。
配当金の推移(法人企業統計より)
小泉政権(2001-2005)
2001年 4兆4956億円
2002年 6兆5093億円
2003年 7兆2335億円
2004年 8兆5849億円
2005年 12兆5286億円
〜
2012年 13兆9574億円
小泉政権時に飛躍的に配当金が増加していることが分かる。
内部留保総額
2012年 304兆4828億円
...そして、それを主導したのが竹中平蔵である。竹中平蔵の目的は、第二のデフレ経済後の第三のデフレ経済を作り出すことである。それと同時に構造改革特区により、企業が、労働規制に縛られず、自由に利益を追求できる日本を作り、日本を完全なる奴隷国にする事である。(奴隷:労働規制に守られていない労働者)
第三のデフレ経済政策(国家戦略特区構想)
現在政府の検討している国家戦略特区(構想全体の一部)
- 外国企業の誘致のため、「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点を見直し対象とする特区を設けるというもの
以上の3本の法制度からなる。労働法制の規制緩和であるが、これにより、企業は首切りがしやすくなり、その結果、空いた人員の仕事について、長時間労働で代替する事が低コスト(残業代ゼロだから)で可能となる。
こんなことが実現されてしまうと、企業が解雇がしやすくなることで、労働者の立場は、さらに弱くなり、長時間労働を強いられても、文句が言えなくなる。そういうことではいけないということで、宇都宮氏などの、国家戦略特区に反対する都知事候補は、これを断固拒否する姿勢を公約に掲げている。つまり、今回の都知事選は、第三次デフレ経済を実現しようとする竹中の国家戦略特区構想を東京都が批准するか否かを決める選挙でもある。
国家戦略特区(主要な4人の都知事候補の内)
賛成:都知事候補
舛添
細川
田母
反対:都知事候補
宇都宮