SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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酷いことに怒れるのが優しさ

3.11以降、私が見たのは、酷いことに怒れない「人でなし」だった。子供の頃の体験で、祖母の態度が、それに該当した。私が理不尽なことを言われて、苦しんでいるときに祖母は、逆らわず黙れというばかりで、私のために怒ってくれはしなかった。久しぶりに里帰りをした夜、祖母が喉が渇いたと呻いているのを聞いて、水を持っていった時だった。私は彼女の病床でこう聞かれた。「なぜお前はこの家を出ていったのか」と。

「私が苦しんでいるとき、誰も助けてはくれなかった。この家の人たちは頭がおかしい」と言った。恐らく最後になるであろう言葉だった。そして、こう続けた「あなたの優しさは偽物、本物の優しさは人が苦しんでいる時に助ける人、皆にいい顔する人じゃない」と言った。

祖母は沈黙し、一呼吸おいて水差しを見て「そうか...お前は一人だったんだな」といい、その後、「お前の好きにすればいい」と言った。守りもせず、ただ黙らせた人の最後の言葉だった。今から思うと私を苦しめたことを悔い、謝るという選択肢があったはずだが、彼女は、それが出来なかった。だから頭がオカシイのだ。自分が他人を苦しめたという自覚が全くない、自分が正しいことをしたけど他人に理解してもらえない人間の態度でしかなかったことは残念だった。

自分は善意があったけど、他人を救ってはいなかったとでも思っていたからこそ謝罪の言葉はなかった。彼女は人の悲しみに共感し、怒るということが出来なかった。人間として欠陥のある人だった。私が祖母を完全否定したのは、それから10年以上も経って、ある真実を聞かされ、衝撃を受けたからだった。それは、あの家の過去で、非常に深刻なものだった。だが、私はその原因が祖母にあると直感した。祖母は苦しんでいる人を守らない。ただ我慢しろという。その結果、最悪の事態が起こったのだと、私は理解した。でも、その最悪の事態を招いたであろう祖母は、何ら反省をしていない事を見て、人間というのは、理不尽なことに怒れず守れないのはダメなのだと痛切に感じた。それ以後、私は祖母に対して、何ら同情することはなくなった。また、間違ったことに怒れない人間、ただ我慢しろという人間に対して、非常に厳しい目で見るようになった。彼らは人をどれだけ苦しめ孤独にしているか自覚のない人達で、しかも、自分が善意を持った普通の人間だと思っている。だが現実は、普通じゃない、キチガイだ。悪魔だ。変人で変態である。そう言う人間がいるからこそ、日本は不幸なのだと思う。

3.11以降の日本において、放射能汚染で苦しんでいる福島の人たちの為に怒るのではなく、事なかれ主義的に、騒ぐなという人がいるが、私は彼らを「人でなし」と見る。事実、そうだから、だが、彼らは祖母と同じように自分が普通の善人だと思っているだろう。でも、現実は、そう言う人間が他人を苦しめ間接的に人殺しをしているという現実を理解するのに、おそらく、あと5年はかかると思う。5年後に放射能汚染の現実の被害で苦しみだす人が続出し、弁明のできない事態に陥るであろう。そして、その時、日本は確実に変わる。私が祖母を完全否定した時のように...

「怒るべきことを怒れないのは、人としてダメなんだ」「食べて応援」なんて、とんでもない偽善である。私に言わせると「食べて死にましょう」だ。計算上、たった数ベクレル毎日食べるだけで、心臓に致命的な疾患が生じる濃度になる。場合によっては死に至る可能性が否定出来ない。

偽善  :東日本を食べて応援しましょう
真の善意:東日本を食べて死にましょう。(この画像、できるだけ転載して欲しい)

この人達、芸能生命終わったな...

ユーリバンダジェフスキー医師の解剖初見(チェルノブイリの死亡患者の解剖所見)

資料1:放射能と人体(6)病理組織から見る内部被(200万アクセス)
資料2:ユーリ・バンダジェフスキー氏によるセシウムの臓器集積に関する研究と食品の基準値

皆にいい顔をするのが、善意ですか?私は違うと思います。真の善意は、時に怒りが生じます。なぜなら、怒りとは恐れだからです。他人のために恐れることが出来る人は、他人を守れます。恐れることのできない人は他人の痛みがわからない人です。そういう人間は人を守れません。だから、酷いことを怒ることは恥ずかしいことではありません。むしろ、そういう事を怒ることのできない人間こそ、恥ずかしいのです。酷いことに怒るのは普通です。まともです。それができないことこそおかしいのです。

皆で怒り、通貨増刷を命令させて、福島の人たちを安全な土地に避難させましょう。現実逃避をしている時間は、あまりありません。遅くなれば遅くなるほど、より悲惨な現実が待っています。この悲惨な現実を直視し、できるだけ早く対処するのが、本当の優しさです。

3月11日(日曜日)に各地でデモがあります。このデモを世界中が無視できないくらい大きくする必要があります。(花火大会に2〜30万人は集まるのですから、それくらいはできるでしょう)世界中に報道されるくらいに大きくして、私達日本人が、怒ることのできる国民であることを示し、世界中の非難を日本政府に向けさせるべきです。そうでないと、私たちは、単なる「人でなし」です。私は、多くの人々がそうではないと思っています。ただ真実を知らされていないだけだと...でも、それを行動に表さなければ、結果になりません。思っているだけではダメなのです。思うだけではなく怒り、怒りの声を上げること、それが人間として普通のことなのです。むしろ、それができないほうがオカシイのです。

 さようなら原発1000万人アクション(HomePage)
 http://sayonara-nukes.org/

 さようなら原発1000万人アクション(Twitter
 https://twitter.com/#!/Action10mil

私達が早く行動しなければ、死なずにすむ人が死に、苦しまずにすむ人が苦しむことになります。私はそれが優しさだとは、到底思えません。