SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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不安という重力

不安について考えてみると、重力みたいなものかもしれない。不安に縛られると、重力が強くなったように動きづらく感じる。実際の重力は地球の質量に比例しているのだが、不安の場合は、行動に対する恐怖の質量に比例していると感じる。
 
行動に対する恐怖というのは、行動から連想される危険度の事を言う。それが強いほど、不安という重力も強くなる。私が自分の行動に対する恐怖を考えてみると、ある意味、実際とは異なる恐怖を抱いている事が分かる。それは過去という恐怖である。その過去はもう死んでいるので、現在の私の恐怖の質量は軽くなっていいはずなのだが、心の中にある恐怖は残っている。私が現在と過去を区別できないのはなぜだろうか?と考えてみた時、私には、連想するパターンが一つしかない事に気づいた。つまり、過去の一つのパターンしか私は知らないのだ。
 
つまり、一つのパターンしか知らないので他のパターンが連想できず、結果として、不安が残ったままになる。私がしなければいけないのは、一つのパターンではなく、複数の別パターンの連想である。そうする事で、不安というものと戦ってみる事にした。
 
行動が恐怖にならない連想、行動したら結果が好転する連想をする必要がある。私の過去の経験では、その行動が有効であろうとなかろうと関係なく、主張すれば否定される1パターンのみだったので、何をするにも恐ろしいところがある。(他者が介入する事で行動する度に負の方向にインフレしていくのが恐かった)人が見ていないところでは自由に行動できるが、他人が見ているところだと恐ろしいと感じる。しかし、そういう事を私にしていた人間は今は墓の下で灰になっているので、灰を恐れる事はもうないかなと思う