SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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避けるべき軋轢と、避けるべきでない軋轢

最近悩むのは、避けるべき軋轢と、目的の為に避けるべきでない軋轢である。衝突は少ない方がいい。しかし、過去の改革の歴史を見ると、必ずしも軋轢が全くなかったとはいえず、むしろ、軋轢の中をくぐり抜けたと言う感が強い。
 
衝突を避けようとして、抜本的な改革を避けて、問題を肥大化させて自滅、そういうことは日本の最近の歴史に多い。不良債券の問題なんかは、とにかく早く償却する必要があったのにズルズルと引きずってしまい、最悪のコスト負担で終結した。それに対し、最近、アメリカが公的支援の為に購入したシティバンクの株を売却して国庫に戻そうとした時に、どうやら100億ドルくらいの含み益が生じそうだ。つまり、9400億円くらいだろうか?公的支援をする時、国民から強い反対があったが、それを断行して進め、結果として9400億円もの含み益を出す公算だというのはオバマ政権の功績だと思う。あそこで国民の声に負けてやらなかったら、金融不安が深刻化し、より多くの公的支援が必要となり、米国経済の回復も遅れていたに違いない。
 
上記のアメリカの事例から分かる通り、避けるべきでない軋轢は、より良い選択肢である事が明確にわかっているが、それが人々に認知されず、反対されている時である。そして、最終的には、それが実行され、結果オーライで償却できるような軋轢。そういうカラッとした軋轢は避けるべきではない。
 
逆にジメジメした後に響くような軋轢は避けるべきである。成田空港の用地買収問題を見ると、それがよくわかる。国全体の利益だと言って官僚達も用地買収は当然とばかりに地元住民に迫った、このことが良くなかった。一旦こじれたものは、非常に根深く残り、結果として成田の用地買収は進まず、成田のハブ空港戦略は頓挫したままだ。もし、あの当時の官僚達が、もっと礼儀正しく、三顧の礼を以て用地買収にあたっていれば、今ごろ、成田はアジア有数のハブ空港になっていたのかもしれない。確かに成田の拡張工事は明らかに日本の国益になる事だ。その点は正しい。だが、それは、それが実現できてこそであり、実現できなければ絵に描いた餅となる。軋轢が大きくなりすぎて収拾がつかなくなる危険、そういう状況に陥る事を避けるのは当然の事だったのかもしれない。
 
そこでふと考えてみたが、避けるべき軋轢と、避けるべきでない軋轢には二つの条件が必要である事が分かる。
 
1.軋轢は生じるが実行すれば明確に皆の利益になる事

  • これが第一条件、これを最低限、満たしていなければダメだ。

2.軋轢が生じるても実行可能か否か

  • 軋轢が生じても、実行できれば最終的に皆の利益になる事を結果オーライとなり、最終的に軋轢よりも利益が代弁してくれる様になる場合は断行するべき、しかし、軋轢が酷くなり、実行不可能な事態に陥れば、実行する事で生じるはずの利益も証明できず、ただ問題だけが残ってしまうと言うパターン。

 
軋轢を避ける為に礼儀正しくするのは、正しい事だが、しかし、安易な妥協をする腰抜けでもいけない。もし、オバマ大統領が国民の意見を聞いて銀行に公的支援をしなかったら、もっと酷い状況に陥って、結果的に皆の利益がより多く失われていただろう。成田のケースは微妙だ。もし、実行できていれば、今ごろ、成田周辺はハブ空港景気で潤っていただろうが、しかし、その為には軋轢を避け、礼儀正しく接し、粘り強く交渉をして、用地買収をするというのが、正しい答えだったのだろう。
 
事業仕分けだと、このような悠長な事はできないかもしれない。そうやって丁寧な対応をして行く内に時間を浪費して、日本がギリシャのような状態になったら、それこそ目も当てられない。無用な衝突は避けるべきであるが、タイムリミットのある問題に対しては、軋轢を恐れず、ある程度断行するだけの強さがなければいけない。そして、時間制限があり、必要な事なのだと説明する事も大事なのだろう。今やらなければもっと酷くなる。だから今やるんだ。みたいな説得が必要かもしれない。
 
そして、軋轢が生じると、火に油を注ぐが如く報道するマスコミは問題を更に悪化させる。それはある意味、最も無益かつ有害な事である。連中は視聴率がとれて、飯の種になるかもしれないが、それによって現実の状況が改善できないばかりか、問題が硬直化し、何も解決できなくなる。ハッキリ言って最近、日本が問題解決できない理由の一つに、こういう無節操な報道が原因と思われるところもあるのではないかと私は思っている。
 
そういった無益な批判報道をしない為には何が必要かと言うと、マスコミも批判するだけでなく、代案を用意しろと言う事だ。代案もないのに文句ばっかり言ってたら、結局、右にも左にも行けず、問題が硬直化するのは明らかだからだ。そういう問題に対しては、冷静でニュートラルな報道に徹するべきだと思う。
 
よく文句ばっかり言って、何も解決策を示さない奴がいるよね。そういう奴がグループの中で大声を出していると、グループ全体が何も解決できなくなってしまう。だから、経験則的にそういう人間は無視するのが正しいのだが、無視できない規模、というか、最も情報発信能力の高いメディアがそういう事をしているのが、日本にとって非常に問題だと私は思っている。
 
そういう意味で日本の大手マスコミは、日本のガンだと私は思う。無能であるばかりでなく代案のない無責任な報道によって、国全体の問題を硬直化させて、社会に迷惑をかけてしまっている部分がある。普天間の報道も代案がないのに一方的に政府を批判するのはおかしい。政府の提案しているであろう事に一方的に文句を言うだけでなく、どの程度の負担軽減になるのか冷静に分析するような報道が本当は必要なのではないかと思う。