SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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現実的という言葉を避ける理由

私はいつも、物事を考えるとき、現実的という言葉をあまり使わない様にしている。なぜなら、現実とは結果つまり、数学で言えば答えの事である。最初に答えありきでは、新しい事は何も考える事は出来ない。つまり、この現実という言葉を使った時点で、既に経験のある範囲内でしか考えられない様になってしまう。そのかわり、対称性、公平、妥当性など、対価の対称性にこだわる。つまり、物事を行うときの対価の妥当性に気を配る。
 
天才でもない凡人が現実的という結果を前提とした言葉を使う事は、過去の経験を拠り所にした発想になりがちである。しかし、個人の経験で分かる範囲には限界がある。だから常に新しい可能性を追求するときには、可能性の妥当性をチェックする対称性(公平)にこだわるべきなのだ。
 
「凡人のリアリティは経験だが、天才のリアリティは予言である」by skymouse
 
予測というのは、的確な状況分析の賜物である。自分がそういう事が出来る有能な人間であるのならば、現実的という結果ありきの主張をしてもかまわないが、大抵の人間は、その粋に達していない。だから、まるで世の中を分かった様な顔をして現実的などという言葉を使う資格などない。凡人に出来るのは可能性の検討であって、その為に何が妥当であるか考える事だけだ。凡人は凡人らしく、そういう謙虚な目線で事実を見つめるべきである。
 
現実的という言葉は、ある意味、惰性の論理である。つまり、今ある事が将来も続くという前提で考える事である。歴史が同じ事を繰り返しているから、その歴史を用いてそれを現実だと主張するのは間違いではない。だが、世の中が同じ様に変化するという前提が常に成り立つ訳ではない。もしそうだとしたら、経験が豊富な老人は若者よりも常に正しい答えを見いだしている筈だが、実際は間違える事が多い。それは、世の中が変わっていくからだ。
 
だから、現実的という経験を前提にした言葉は、老人の言葉なのである。そして、その経験と現実に差が生じた時、それは現実的ではなくなる。どちらかというと、経験則と言っていい。この経験則は世の中が大きく変化しているときにはまるで役に立たない。つまり、現実的という言葉は、自分の発想を過去の分かっている範囲に閉じ込め、新しい事を見えにくくするのだ。だから、私は発想の若さを保つ為に、「現実的」という言葉を使わない。その言葉を使う度に発想が老いるから。