SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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何の為の正しさか?

NHK大河ドラマ天地人」の石田三成を見ていて、三成が何を誤ったのかと考えてみた。正しいという事を至上とすれば、正しくない人、もの、金を切り捨てる。しかし、何の為の正しさかという事に思いを巡らすと、人の為である。正しさの為の正しさであってはならない。
 
人の為の正しさであるとするならば、たとえ正しくなくとも、それによって人が報われるのであれば、それを優先する事が本当の意味で正しいという事なのかもしれない。三成と兼続の違いは、人を優先するか、合理を優先するかという差であった。そして、それはまた家康との差でもあったのだろう。
 
人望とは、人を大事にする姿勢から生まれる。故に合理に基づいて、効率が悪いという理由で切り捨てるという考え方では、人はついてこない。三成の敗因はそこであった。私も三成と同じで合理で人を切る。だから、人望がない。それは、ある意味、正しさの為の正しさであり。本来の目的である人の為の正しさという大前提を無視しているので、私についてくる人間は一人もいない。
 
私の義父もまた同じであった。己の正しいと思う事を率直に言い過ぎてしまう為に人の尊厳を蔑ろにしてしまう。義父もまた、正しさを優先し、人を切り捨てた人であった。故に大成しなかった。私もまた同じ道を歩んでいる。
 
死んだ義父に私は「私はあなたの様にならない」と言っていたが、しかし、師匠と同じ事をしている自分は愚かだと思う。何の為の正しさかという事を肝に銘じて合理を貫くのがやはり肝要なのだと縄に繋がれた三成を見ていて思った。