SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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議論の品質管理(品格)

最近、議論について書いていたら、品格という言葉が出てきた。本来は、議論を完成させる為の最低限のモラルを説いたものであるのだが、結果として、それが品格という言葉になるという事に対して、自分の言葉ながら驚いている。
 
私は、議論というものは形作るものだと思っていて、やはり筋の通った柱がないと、大きなものは作れないと思っているから、曲がった柱や歪んだものを排除する為に最低限のルールが必要だと思っていた。要するにものを作るときの感覚と同じである。歪んだ部品があると、全体がくみ合わさらない様に議論もまた、正確でない情報で歪曲したり、対称性の伴わない歪んだ意見では、柱として使えなかったりする。
 
要するに「そんなの質が悪くて使えねーよ」と大工の頭領よろしく言って切り捨てて最低限の品質を維持しようとする発想が、結果として品格という言葉になったのは、面白い。つまり、ものを作る為の品質管理の発想が品格になっているのである。私が議論をものに見立てて考える事で、ものの品質管理の思想が議論の品格になる訳である。
 
1.対案のない批判

  • この柱は使えないと言っておきながら、「じゃ、予備の柱は?」と聞いたときに、それがないと言っているのと同じ。

 
2.基準の歪んだ意見

  • 一方の寸法にセンチメートルを使い、もう一方の寸法に尺を使ったら、当然寸法がずれて歪む、歪んだ部品では、部品同士が組み合わない。つまり製造不可能。

 
3.同じ土俵に立っていない議論

  • 基礎の土台が歪んでいる為に建物全体が歪む。

 
というわけで、そういう品質管理が伴わないと、欠陥住宅になる訳だ。必要な柱が抜けていたり、土台が歪んでたり、寸法のずれた部品でちぐはぐにくみ合わさっていたり、どうしようもない。当然まともな家は建たない。だから、普通のまともな家を建てる最低限のルールとして、そういう事を考えるのは、もの作りの発想から言って、当然の事なのだ。そして、それは品格にも通じる事なのだ。