SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

我慢100%は駄目

我慢100%は駄目である。我慢が7〜8割であったとしても、2割、3割は人間の尊厳のためにとっておくべきだ。人間は100%我慢できるほど強くない。これはあらゆる判断に通じる発想だ。チベットの問題でも中国政府は完璧を追及しすぎていると思う。

他人に我慢を要求するという事は、ある種の譲歩を要求している事でもある。そういう譲歩ばかりをさせていれば、不満が出るのは当たり前。だから、「今の若い者は我慢が足りない」と言っても、それはもしかしたら、妥当でない譲歩を強いていると感じられているかもしれないし、あるいは妥当であっても、それをきちんと説明できていないかもしれないと考えるべきである。

説明にならなくても、今は分からないかもしれないが後で分かる事があると、一言いうだけでも随分違うと思う。少なくとも何も言わないで無理強いするよりかはマシだと思う。

我慢を要求するにはそれ相応の対価を提示できてこそ、納得して我慢が出来る。そういう時の人間の忍耐強さは結構強いのである。それが弱いという事は、それ相応の対価をきちんと提示できていないかもしれないと考えるのが妥当。

そして、我慢だけでなく、我慢しなくていい事も同時に諭す事が出来れば、無限の要求ではなく、有限の要求である事が分かる筈である。もし、何でもかんでも我慢で説明したら、精神的に破綻してしまい燃え尽きてしまう。人間は完璧ではない、だから100%ほど、人間らしさを無視したものはない。不完全なところをある程度認めるところに本当の人間としての正しさがあると私は思う。