SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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権威主義者の醜態

権威主義者の発想は、正しいか正しくないかではなく、自分が相手より上か下かなのである。

権威主義者が権威に寄り添うのも基本的には自分を有利な地歩、つまり「上」になることを目指している。そのためには自分が形式的に「下」になったとしても、それ以上、下になることもないと考えるからだ。

故に上下を定める要因が力だとすれば、力を尊重し、お金だとすればお金を尊重する。それが彼らの発想なのである。要するに差別意識の塊のようなものだ。

故に彼らの発想では、正義の全てが奇麗事である。自分が上になるためであれば、正当なことであっても、簡単に否定するのが、彼らにとって正しいこと。基本的な目的は自分を上にのせることだから。

さて、彼らがどうして「上」にこだわるのか?それは、下への恐怖感から来ていると思う。私は、理屈っぽい性格なので言葉で人を追い詰めることがある。相手の外堀を埋めてさぁチェックメイトだとすると、いきなり話がワープしたり、私の人格を否定する話になったりする。

ここで分かるのは、彼らが下になる事を極端に嫌っている点、まるで世の中が終わるかの様な危機感である。実際は世の中は終わらないし、部分的に譲歩する必要が生じただけなのであるが、彼らにとっては部分が全体なのである。下になる事は彼らの全人格の否定につながる為、とにかく避けたがる。要するに単純なのである。
 
・・・・権威主義者と私・・・・
私が意見を言うことによって既に負けを認めて「下」であることは自覚しているものの、それをひっくり返すために卑怯なことでも何でもするのが権威主義者なのである。私はそのようなことはあまりしない。なぜなら日頃、そういうことをしている人間の醜態を見すぎているから、「みっともないな...」と思いながらも、「理詰めで話して、ここまで追い詰めてしまったか、こうなると話にならないんだよな」「めんどうだな」「この話やめよ」と心の中で呟きながら、話をするのをやめる。最後のトドメをささない。これ以上やるとケンカになるし、嫌だなと思う。つまり、人が卑怯なことを言い出した段階で、ゲームにルールが生じない状態になっていて、収拾がつかないと思ってしまうから。私は気が弱い理屈屋なので相手にトドメをさす覚悟がない。そこで足元を見られて卑怯なことをされてしまう。

ケンカで勝つためには自分が傷つく覚悟がないと駄目。それは相手にトドメをさすときでもそう。多少痛い目にあった方がルールを守らせる強制力になると思う。だが、その覚悟がないので舐められる。

最近は、トドメをどうやってさすのかよく分からないが、どうすればいいのかと思う。ただ、覚悟だけは必要だと思った。多分、覚悟があれば、本音を言えるだろう。私は自分が間違っていると証明されたとき、頭を下げられる事が正しいと思っている。そのほうがいい逃れをするよりもずっと奇麗だと思っている。権威主義者の醜態を見すぎているから、そう思う。

でも、汚かろうが何であろうが、とにかく俺は上にあがるぞという奴ほど出世するんだよな〜。あの醜態は真似したくないけれども、あのバイタリティは評価に値するかもしれないと思う。白い巨塔財前五郎みたいな感じ?

自分の場合、あまり猿山の大将は望まないが、ルールを守ってほしいと思うだけだ。ただ、守らせる為には、相手を叩き潰す覚悟とその際の報復の覚悟、最後までやり抜く覚悟が必要。そういう覚悟がないから、勝てる事でも負けてしまう自分。

勇気のない自分が一番情けないのかもしれないと、最近は思う。綺麗な方がいいけれど、それは負けの言い訳かもしれないとか思ったりもする。勝ちたいと思うのは、卑怯を否定し、正しい事を前に出す為。相手も自分が間違っていると思うから卑怯な事をする訳で、ある意味、私の意見が間接的に認められているという事でもある。

将棋で言えば、「待った」を言えば、私の場合はゲームが終わり。試合終了。試合続行はなし。そんな事ばかりしているから友達が出来ないんだよな〜と思いながら、Blogを書いて楽しんでいる自分がいる。結局は寂しがり屋なのだが、ルールを守らない事に対する嫌悪感の方が上回るので、「またかよ」と思ったらそこで全部終わり

あの醜態を見るたびに、嫌になってしまうのだが、ゴミを見る覚悟もないと勝てないと思う。なぜ勝つのかというと、意見を通さないと前に進まないからだ。自分が正しいと思えば前に出るのが道理。私が勝ちを望まなかったのは、私に勝ちはなかったから。言い分がどんなに正しくても祖母に切り捨てられたし、友人も最後までやり抜かない私の足下を見て、卑怯な事をする。

そういう卑怯な事をされると無限に勝てないと思って絶望してしまう。八百長では勝てないので、試合放棄しかなくなってしまう。八百長を暴いても、それを上回る更なる八百長が待っているので無限に面倒くさい。

この無限とも言える戦いに勝つのは、根比べで勝つものが勝者、諦めるのが敗者である。そういう意味で私は万年敗者。負け犬である。ある意味、勝者とは根気で決まるところがある。最後まで希望を持ち続けていられる者が勝者となる。

そういう意味で私は相手を見下しているのかもしれない。相手を最後の最後まで卑怯な事を永遠に続ける愚か者だと。

世の中には、そういう悪い人は、そんなに沢山はいない、ただ、私の心の中の人間像がそうであるというだけの話。また、私の気弱な態度が相手の増長を誘っている事もある。故に相手が卑怯なのではなく、私が臆病な事が一番悪い事なのだとも思う。もしかしたら、私が勇気を振り絞った時、道が開けるのかもしれない。

私の臆病(甘さ)→他人の卑怯(甘さ)

もっと辛い人間にならないと駄目かなぁとも思う。