SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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酷い夢と表現の自由の大切さ

さっき崖から助けたばかりだったのに、自分のミスでもろくなったプレートが連鎖的に崩れ落ち、その下敷きとなって見るも無惨な死体を見る夢だった。死体はまるで、道路で車の下敷きになったカエルの様になっていて、人間ではなく平べったい「モノ」と化していた。
 
さっきまで助けて、元気で生きていた人間が一瞬にして死に、そして、モノと化す無惨さ。そういう怖い夢を見た時思った。本当は、残虐さを表現する事は実は大切な事なのではないかという事だ。この夢を見たら、命がとても大切に思える様になった。死を表現するから生の意味が分かり、酷い事を表現するからこそ、優しさの意味が分かる。それを醜いからといって規制するのは、実は最も残虐な行為なのではないかと思った。
 
正しい事の意味が分からなくなったり、酷い事が酷い事に見えない。あるいは想定できない。そういう創造力の欠如した人間が多くなっているのではないか?思えば、この国はとても平和で安定している。だから、酷い事を体験する事も無いし、死も遠い世界の事だ。だから、命の大切さを実感する機会もない。そういう世界では表現物による疑似体験こそが、生の価値や正義の価値を理解する場ではなかろうか?
 
それを安易に規制するのは、そういったことに鈍感になる最も残虐な人間を生み出す事になりはしないかと最近の意味不明な殺人のニュースを見ていて思うのである。
 
表現物の規制はやりすぎると、鈍感な人間を増やし、人の苦しみの分からない最も残虐な人間を量産する事になるから、するべきではない。一億総勢マリーアントワネット化したら目も当てられない事になる。
 
マリーアントワネット
資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/マリーアントワネット
悪人ではなかったが、あまりにも世間知らずであった為に民衆の怒りを買って殺された人。彼女は鈍感すぎて、民衆の困窮や苦しみを感じる事が出来ず、結果として自分自身を民衆の怒りの業火にさらしてしまった。
 
鈍感こそが最も残虐なのだ。フランス革命の後、表現の自由を定めた人権宣言は、そういう鈍感さを否定する為に精神の自由を保障した。そうした表現の自由を今また規制する事によって、汚い事を何も知らない子供を作る事は、それは第二のマリーアントワネットを生み出す行為であり、甚だ物騒で危険な行為である。
 
そして、マリーアントワネットに世間というものを教えずチヤホヤして、彼女が苦境になると真っ先に裏切った貴族たちが、今、表現の自由を規制しようとしている人たちと重なって見えてしまうのである。彼らは彼女を利用していただけであり、彼女の為になる事を何もしなかった。それ故に彼女は悲劇のヒロインになってしまった。彼女を悲劇に陥れたのは、そういう人間たちなのである。相手の為と言いつつ、実は己の保身しか考えていない人間、そういう人間が奇麗事を吐き、世の中に不幸を振りまいているのである。