SKY NOTE

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覚悟とは、諦めることなり

覚悟とは、諦めることなり

昔から自分は覚悟というものが出来ず、様々な可能性が頭のなかでグルグル回って結局、決断が出来ず、ズルズルと過ごしてしまうという優柔不断な人間で、覚悟というものは何なのかと考えることがしばしばあった。しかし、その度に何のことだかわからないという結論になってしまい、困惑していた。もし、それがわかれば、覚悟というものが自分にも出来るのかもしれないと思っていた。

ジョジョの奇妙な冒険スターダストクルセイダース)で、ディオの館の執事が負けた時のディオの言葉「天才だったが、このディオのために命をかけるという覚悟がなかった」という言葉を聞いて、覚悟とは諦めることなのかもしれないと思った。

それがディオの言葉で分かった。つまり、覚悟とは、一見、何かをすることを決断したことを意味するように思えるが、実のところ、何かを捨てることも同時に決めているのだ。つまり、何かをする覚悟というのは、同時に何かを諦めることでもある。

あることをすることを決めると同時に、それによって失われるものを諦めることも同時に行っている。それが覚悟なのだ。私が覚悟できなかったのは捨てることや諦めることが出来なかったからなのである。だから、覚悟が出来なかった。

つまり、決断と諦観を同時にやっているのが覚悟なのである。つまり、覚悟の覚えるという字は、何かをすることを覚え、そして、それと同時に何かを失うことを悟る。という意味なのだ。私はこの失うものを悟る部分が出来なかったからこそ、覚悟ができなかった。

捨てるものを決められないから、覚悟ができない。逆に言えば、捨てるものが決められれば、覚悟ができる。ファイルの不要なファイルを消すみたいに、自分の中で捨てることに整理がつけば覚悟が出来、そして、私にも何事かができるようになるのではないかと思った。そして、勝つことが出来るかもしれない。

勝つというのは、自分の力を、レンズのように収束させて一点を貫くこと、覚悟というのはレンズの役割をする。優柔不断だと拡散してしまって力にならない。そのためには、収束すべき一点を選択する必要があり、それは同時にそれ以外のものを諦めることを意味する。だから、勝つために覚悟が必要なのだ。そして、それができる事が勝つための条件であり、勝利するために必要な対価とも言える。私は、優柔不断であるがゆえにこの対価を支払ってこなかった。この対価を支払わない限り、私は負け続ける。

思えば、私が知っている勝利した人間は、妥協とか諦観とか、そういうものが出来る人間が勝てている。それは、要するに必要のないものを諦め、必要な物に選択と集中をしたからとも言える。そして、その選択と集中に覚悟が伴っていたからこそ、最大の力を最適な場所に収束できたといえる。私は、最適の場所を理解しても、優柔不断故に最大の力をそこに収束することは出来なかった。最大出力は、リスクが伴う。そのリスクを払うことをためらうことが、私の敗北の理由。ターゲットが分かっていても、そこに最大出力を投入できるかどうかわからない。僅かな体力、大したことのない知性、感性というコンパスだけが、正確で、そこに多くのリソースをつぎ込んだとて、どれほどのことがあろうかと自分を疑る弱さ。しかし、そういうものを捨てる覚悟、やっても無駄というあきらめが出来るのならば、何をしても無駄ならば、選択すべきものを決めて最大出力で頑張ってみる。それ以外の可能性を捨てても頑張る覚悟が出来ても言い。なぜなら、どうせ諦めているのならば、やってみればいい。蟷螂の斧だとしても、やるだけやってみて、捨て身の覚悟でやってみればいい、その己を捨てる姿勢こそ、覚悟なのだ。