SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

権威と論理、そして核と神

人よりも神様のほうがエラいので、人のルールの権威よりも神のルールの論理のほうがエラいのだ。

法律は論理にもとづいて作られ、権威によって正当化され、実行される。権威主義者は法は権威あってのものだから、権威こそエラいと考える。しかし、それは大きな間違いなのだ。こんなことを言うと権威主義者は、呆れてしまうか、怒るかのどちらかだろう。

論理的に整合性のないルールは自壊してしまう。つまり、自然に滅ぶのだ。それは神のルールである論理に従わなかった結果である。権威主義者の視界は狭い、その狭さゆえ、パッと見で分かりやすい権威こそ至上と思ってしまう。そして、その権威を正当化するためには、軍事力も必要だと考える。

彼らにとって核はとても魅力的に映る。なぜなら、権力をこれほど正当化する暴力兵器はないからだ。しかし、この兵器、あまりにも強力すぎて使えない。もっというと、勝者の存在しない戦争、Winnerless Warになる可能性がある。つまり、権威以前に身の破滅をもたらしてしまう兵器であり、しかも、環境中に放出されると、それから何十年、ひどくなると何百年も作物が育てられない状態になり、それによる飢餓と有毒な放射能で人類が絶滅してしまうリスクすらある。

つまり、権力を追い求めた先が、破滅というお世辞にも褒められたものではない結末が待っていることは、その破壊力と、その継続性からみて明らかである。しかし、権威主義者の視野は狭いので、それがわからない。彼らの目線は常に目先の有利、不利に傾いているので、力はあればあるだけいいという発想になってしまう。特に、そこに恐怖が重なると、その思い込みは強固となる。

つまり、論理的に考えて、強くなるのは、生き残るためなのに、その為に、わざわざ、完璧な死をもたらす兵器を作ってしまい、その矛盾した存在の扱いに苦慮するという馬鹿げた結果になっているのが人類社会なのだ。神のルールの論理では、このような矛盾した行いは、いずれ破綻し、滅ぶことになる。

では、どうすればいいかというと、恐怖の設定の仕方を現実に則したものにするべきなのである。つまり、この兵器を使ってしまうと、互いに恐怖が支配し、その恐怖ゆえに皆が視野狭窄になり、お互いを滅ぼし合う全面戦争になりかねないこと。そうなったら、人類が滅ぶ可能性が高い事。そして、破壊された環境を取り戻すには何十年、何百年とかかり、非常に長期間の苦難が待ち受けていること。そういう現実を理解すれば、そもそも核を持とうとすること自体を諦めるのが正しいと考えるのが、一般的な思慮を持った人の考え方である。

ここでいう神というのは、物事の理である。何をしたら現実的に何が起こるのかという、やったことに対する結果を矛盾なく把握することを「論理」として捉えている。人間の考える矛盾した思考の結果、矛盾した行動をすることを現実は許さない。そういう厳密さを神として捉えている。
 

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