SKY NOTE

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正しいことが行われない「自尊心の壁」

正しいことって、間違っていることを証明することでもある。その時、自尊心が障害となる。その自尊心を抑えこみ、正しい事に耳を傾けるのが「謙虚さ」というもの、それに耳を傾けず、我を通すのを「尊大」という。

自分は尊大にならないために、どう考えるようにしているのか、それは、「間違っていることよりも、正しいことを認めないことの方がずっと恥ずかしい」そう思うと、正しいことに耳を傾ける事ができる。

多くの正しさが、この自尊心という壁の前で立ち往生する。だから、自尊心の対極にある「恥」の概念を用いて、それを改善する。つまり、最も恥ずかしいことはなにか考えれば、間違っているにもかかわらず、我を通し、見苦しい醜態を晒すこと。そうなるのは、自分の自尊心が耐えられないと思えば、自然と正しいことに耳を傾けることが出来るだろう。

真の自尊心とは、正しいことを認める器のデカさだと思う。間違っていたら頭を下げる勇気を持つもの、それが本物の自尊心、そう思えばこそ、謙虚になれるというものだ。

私が尊大なものが嫌いになったのは、尊大さが理由なき権威にもとづいているからである。固有名詞による権威、それが尊大さである。それが偉大な理由が文章で説明できない権威こそ、尊大になりやすいものなのだ。年をとると、自然に権力が手に入るようになる。年長者という事で無条件に権力が与えられる。その結果、理由もなく人を縛ることが出来る。私はそうやって縛られた時、尊大なものが嫌いになった。なぜ、私を止めるのかと説明を求めても、お前には分からないの一点張りで終わり、それが権力なのだ。言葉で正当化出来ないからこそ、尊大なのである。だから、私は何が重要なのか、説明することから始める。ワンフレーズで自分を正当化するような言葉は慎むことにしている。

単語で他人を否定するのではなく、文章で他人を否定する。固有名詞による否定ではなく、論理で否定する。それが私の習慣だ。自尊心が傲慢に変わるのは、自分を正当化する為に使う言葉が、固有名詞で理由が存在しないと傲慢、文章で論理的に説明できるものが自尊心だと思っている。傲慢にならないためには、常に自分の権利を文章で説明できる論理性を持つことだ。