SKY NOTE

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「願望」が「現実」を上回っている人たち

悲惨な写真を見るのが嫌だから、シェアするな、つまり、黙れと言っている人達がいる。

 悲惨な写真をSNSに平然とシェアする人間に戦争を語る資格はない
 http://blogos.com/article/90420/

この人達のやっていることは、実は、第二次世界大戦の旧日本陸軍とやっていることは同じである。なぜか?それは、願望が現実を上回っている点において、共通しているのである。

この人達は、悲惨な写真を見たくないという己の「願望」を実現するために、他人に「沈黙」を要求している。(そもそも見たくないのならば、自分が見なければいいだけで、他人に沈黙を要求する必要はない)つまり、現実から目を背ける行為を他人に強制しているのだ。これと同じことが旧日本陸軍にもあった。開戦前、当時の日本の諜報部がアメリカとの戦力差は20:1であり、負けるのは確実なので戦争をするべきではないと進言したにもかかわらず、旧日本陸軍は「日本は神の国、負けるはずがない」という希望的観測に基づいて戦争を実行した。つまり、「日本は勝つ」という一種の「願望」が「現実」よりも上回った結果、あの戦争が実行できたといえる。

現実を見ない姿勢が、あの戦争の実行の原動力になった。つまり、「悲惨な写真を見せるな」という自分の願望を実現するために、他人に「沈黙」を要求する彼らのやっていることは、旧日本陸軍の発想と何ら変わることがない。現実を願望で無視する点において共通している。更に、その願望を他人に強制する傲慢さもそっくりである。そのような人間が、偉そうに戦争論を言う権利があり、同時に、自分以外の考え方の人間に対して沈黙を主張するのは、呆れるを通り越して、むしろ滑稽である。

もっと言えば、そういう考え方の延長線上には、治安維持法もみえてくる。つまり、自分の願望を実現するために、他人に沈黙を要求するのって、治安維持法の考え方そのもの。そこからすると、現在の特定秘密保護法集団的自衛権についても、彼らは恐らく、それほど強く反対しないはず、なぜなら、自分の願望という小さな正義の為に現実に起こっていることを見ない虚空の中で生きているから、戦争という極端にリアルな世界を理解していない事が想定される。恐らく、彼らは正義の為に戦争をと言ったら賛成する可能性がある。だって、現実を見ないんだもの。例えば、私たちは豚肉を食べる。あれって、豚を殺して食べている。彼らの感覚って、スーパーの豚肉を食べてる感覚なんだよね。でも、私たちは豚を殺している。それを直視していれば、食事の時に豚肉を残すことはない。でも、恐らく彼らは、豚肉を嫌いだと言って自分の願望に基づいて残すかもしれない。だって、豚肉を殺している現実を見ようとせず、スーパーで売られている状態しか見ようとしないのだから。

そういうリアリティのない人間が戦争を始め、そして、多くの人間を殺すのだ。だから、現実を見ない人間は、一番残忍なんだ。現実を直視しない姿勢こそ、戦争を語る資格のない人間だということは歴史が証明している。ましてや、そういった現実を見ない姿勢を他人に強制し広めようとしている行為は、昔の軍国主義と大して変わらない。大本営発表を信じるのも、一種の願望といえる。戦争を抑止するのは、そういう願望を排し、現実を直視することから始まる。孫子の兵法にも、戦争に及ぶ前に、諜報(情報収集)を重視せよと書いてある。まず、現実を直視し、状況を見定めよ。そして、負けると分かったら絶対戦争をするなと言っている。つまり、戦争のバイブルと言える孫子の兵法が重要視しているのは、現実直視の姿勢であり、現実を無視する姿勢ではないのである。戦争を語る資格とは、そう言う現実を直視する姿勢にある。見たくないと言って、現実を避ける人間が、結局は、戦争という理不尽な状況を招いてしまう。それは、見ていないからこそ出来るのであって、見ていれば出来ないのである。