SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私の欠点:実行面での具体的な行動が定義できない

私は、正しい方向性を示せても、それを具体的にどうすればいいかって事は、考えるのは苦手だ。それは、私の子供時代に問題があった。私の家は祖母の方針に支配されていて、その祖母は争いを極端に嫌う人だった。祖母の方針は、家族全員のエゴ(自我)の存在を否定すれば家が平和になるであろうと言う事だった。しかし、問題は、そのエゴが正しかろうと間違っていようと関係なく、エゴであれば、それを黙らせ、何も出来なくする事だった。要するに分別のない抑止なのだ。
 
よって、子供時代の私は、正しい判断が出来ても、それが実行できない状況にあった。実行する際に、それがエゴだと祖母に解釈されれば、黙らされて、理由を問いただしても、全然聞いてもらえず、手の施しようがなかった。そういう極端な事をされてばかりだったので、行動面で具体的に考えようとすると、不安になる。あの家で祖母の主張は絶対、私には口答えする権限はなかった。だから私は自分を貫き通すエゴは弱い。他人のエゴに負けてしまうのだ。正しいと思っていても、それを貫き通すだけのエゴの強さがない。
 
エゴが発動するだけで否定され、徹底的に叩きのめされていた毎日が、精神的にトラウマになって、祖母が死んだ後でも私を縛り続けている。最近になってやっと祖母の考え方が分かり、その自分本位さと、無責任さに腹が立って、祖母を否定しているが、それまでは祖母を尊敬してすらいたのだ。
 
祖母の考え方は、一つ「逃げたい」それだけ、目の前の問題から逃げる為に、とにかく争いをなくそうとする。本当に人の事を考えれば、お互いの主張の理由を問いただし、理路整然と話をまとめる事が大切だが、祖母がそれをしなかったのは、単に、自分を守る事しか考えない人だったからだ。己を守る為の論理で人を裁くから、他者の主張の理由や論理なんて関係ない。人の恨み辛みをなくし、後腐れなくする為に必要な事を一切していないところから、非常に自分勝手な人だと分かる。子供の頃は、そういうあまりにも極端なやり方に、自分よりも何年も歳くっているんだから、何か深遠な考えがあるに違いないと思ったが、大人になって冷静になって分析してみると、深遠な意識など微塵もなく、ただ逃げると言うキーワードで解釈すると、祖母の行動は理解しやすい事が分かった。また、機能不全家族というキーワードで調べてみると、祖母の行動と全く同じ点が見つかる為、恐らく、私の家は機能不全家族だったのだと思う。普通の家で当たり前の事が当たり前にできる家ではなかったのだ。
 
人間の行動力は、ある意味、エゴ(自我)から発動する。しかし、私はおかしな家に養子になったので、そのエゴから否定されて、行動力も結果として育成される事なく、育ってしまった。その結果、私は、方向性を判断するところまで考える事は出来るが、それ以上の事を考えようとすると、不安とストレスで胃が痛くなるような状況に陥る。「これを考えてしまっていいのだろうか」別に考えてもいいし、行動してもいいのに、そういう自分のエゴが正当化できないところに自分の弱点がある。
 
ある意味、エゴがあるだけで否定するなんて言う、無茶苦茶な事をされていたからこそ、私の考え方(正確には感覚)はおかしい。理性がそれを否定しても感性が恐れる。それが私の心理状態、弱点なのだ。
 
祖母の発想のおかしさを例えて言えば、エゴを擬人化すれば分かりやすい。みんな(のエゴが)死ねば、争いはなくなる。そりゃまそうだけど...それ以前に人の尊厳(個人の自由の存在自体)を否定する段階でこの考え方はNGだ。つーか最低の発想。独裁者の発想だな。己の意思で全体を満たせば、平和になるみたいな。平和になるかもしれないけど個々人の自由はなくなる。自由を奪われて生きている意味があるかという問題になり、結局は、人の意思が死んでいれば、自分が争いから逃げられると言う自己中心的な発想でしかない事が分かる。子供の時の私は、そんな最低な考え方をする人間がいるとは想定できなかった。何せ、祖母の立場は家の中では絶対権力者である。逃げる必要などなく、堂々と真正面から話を通せば、簡単に自分の意思を通せるのだ。そんな人間が自分が逃げる為に、そういう事をする必要はなく、全く合理的ではなかった。しかし、祖母の言葉を思い出すと、話し合いそのものが無駄(不可能)だと絶望しているような言動が多く、それゆえに自分の持っている権力を逃げる事にしか使えない。前を見て、建設的に使えないのだ。実際は絶望するほど現実は厳しくなかった。というか、祖母にとっては現実はかなり優しかった。しかし、その優しさが理解できず、厳しさのみが祖母の頭を支配していた事が、祖母が間違ってしまった原因だと思う。しかし、人間、長く生きていれば経験によって反省する事は出来たはずである。しかし、祖母が自分の権力を適切に使えなかったのは、祖母が自分本位な人間だったからにほかならない、祖母自身は自分が利他的で優しい人間だと思っていたようだが、実際には、自分の権力の行使がどれだけ他人の尊厳を傷つけているか考えもせず、ただ己の考える正義のみを貫いた人だったので、利他的と言うよりも利己的であり、人の抗議に一切耳を傾けないのは独善的で自分本位でもあった。その人間としての柔軟性のなさが結局は祖母自身を反省させず、その権力を負の方向に導いた。
 
本当に人の事を考えたら、絶望(妥協)などせず、可能性を追求するものだが、祖母はそこを妥協してしまう人だった為に、人を傷つけても「仕方がない」で済ます人だった。本当の限界は、現実ではなく、祖母自身にあった。祖母は自分自身の限界を現実の限界としてしまったことで、自分を変える努力を放棄し、人の尊厳を傷つけ続けていた。要するに自分が悪いのに、現実(他人)が悪いと責任転嫁していた人だった。
 
祖母という反面教師から得た教訓
・他人のせいにしていると何十年生きていても反省しない(成長しない)
・他人の言葉に耳を傾けていないのに己が正しいと思う事ほど間違っている事はない
・恐怖に支配されると人はバカになる。
・絶望は責任(可能性)の放棄でもある。

  • 絶望できる人は、できる限りの事をやった人のみ、何もせず他人のせいにしてばかりいる人間は絶望する資格なし、反省して物事を改善し、可能性を追求した後、それでもダメだったら、絶望するのも仕方がない。だが、人のせいにして努力も何もせず、その上、問題を解決しようとする人間の足を引っ張る奴に絶望する資格はない。