SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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知性でものを見て、大義で現実(人)を動かす

最近、自分から見ると価値のないものに世の中が共鳴する理由についてやっと分かる様になってきた。私はいつも長期的な視点で考えるが、それに対し、彼らは、その場の雰囲気や短期的な状況だけで物事を考えるのだ。私はそういう考え方をしないのは、長期的に考えれば、それらは最終的に間違いである事が分かっているからだ。つまり、長期的発想こそが正しい帰結点を導く上で最適なのである。
 
つまり、「ほーら、最後にはこうなったでしょ」というのが私の分析結果なのだ。途中で紆余曲折があっても最後には正しかったという分析が多い。私がこういう考え方をするのは、近視眼的なものの見方が、最後に敗北する。あるいは不正確になることが分かっているからだ。
 
思うに、日本人が戦略が建てられないのは、この近視眼的な視点にあり、それが集団の意識と融合し、そうでなければいけないような空気を作り出す。短期的な事ほど目の前にハッキリ見えるため、共感しやすいのだ。この様に集団を形成する事を成功と看做す日本社会では、そういう近視眼者を勝者と扱う。つまり、いかに権力を獲得できたかが、成功のポイントだというのである。だが、小泉氏を見てみよう。彼は選挙で勝利者となったが後で負けた。なぜなら、彼の政策は尽く長期的展望が欠けており、その結果、現在の雇用不安の元凶となってしまって求心力が落ちているからだ。私はアメリカ経済の長期的問題点を知っていたから、アメリカに合わせるのは危険だと思っていた。つまり、私が正しく、小泉氏は間違っていたという訳だ。
 
私は共感のみで考える危険性を排除する為に、歴史を持ち出して考える事が大事だと思っている。アメリカみたいに人を粗末にするやり方は、歴史の中では一時的に成功しても後で破綻するやり方なのである。歴史の先生が「民衆の不満が蓄積する様な制度や政治は長続きしない」と教えてくれたが、このセオリーは正しい。
 
私は歴史というインテリジェンス(知性)で物事を捉えるが、人々は「隣と同じ考え方でなければいけない」と考える事で知性を無視する。あるいは、共感という権力を優先するあまり知性をそれと比べて相対的に敗者と扱う。しかし、それこそが人々が最後の負けるメカニズムなのだ。どんなに力を誇っても、間違った判断をすれば時とともに廃れるのは歴史の摂理、この摂理と戦って勝てたものはいない。〔そういう意味で必敗の法則とも言える)
 
私は正しさという点では勝つが、それを社会に広めるという意味では敗者である。私は時間とともに勝者になっていくが、日本社会は時間とともに敗者となっていく。私は負けて苦しむ人々を勝たせたいと思うが、勝たせるには、共感できる内容にしなければいけない。これにはテレビが最強である。だが、このテレビが感情的に表現する情報が人々の判断を歪めてしまう。日本社会が無能政治に苦しめられる元凶は、人々の共感重視の権力志向的発想とそれに便乗して利益を獲得しようとするテレビ局の扇情的な報道にある。
 
共感を重視する権力志向的な発想が、知性を無視する方向に働き、扇情的な情報が理性を無視する方向に向かう。知性と理性を無視するメカニズムの中では、正しい答えは生き永らえる事は出来ない。つまり、正しいことを言う有能な人間が尊重されない。これでは有能な政治家が現れても、評価できない。
 
正しい評価が出来てこそ、有能な人間を登用できる。そういう意味では、有権者とは会社の上司の様なものなのだ。上司として優れていれば、有能な社員が育ち、有能な部署が生まれる。だから、隣と同じ考え方という強迫観念を捨て、何が正しいのか真剣に考えたり、テレビに出る量で判断するのではなく、それが一体、客観的に見てどの程度の事なのか常にふまえてみる事が望ましい。
 
オーソドックスに言えば、そうなのだが、これを皆がするのはハードルが高い、そこで考えるのは、オバマ大統領だ。彼は社会の感情と理性をうまくコントロールできる特徴がある。社会を動かす演説と、理性で状況を把握する冷静さがある。
 
そこで大事なのは、「大儀」だ。彼は大義を用いて人々をまとめる。大義と理性を融合させる事で理性が感情に敗北するのを防ぎ、敵対する権力も否定する。なぜなら大義なき権力は瓦解するのは歴史の必然だから。最近ではブッシュ大統領イラク戦争が挙げられるだろう。彼は十分な証拠もなく戦争を始めた。だから、彼の根拠とする開戦の根拠、つまり大義は失われ、瞬間的に90%を超えた支持率も最終的には最低水準の支持率となって任期を終えた。支持率が権力の量とするならば、大義なきものは、敗者となるのである。
 
つまり、大義を用いる事で敵対する権威と感情を排除し、知性と理性を表に立たせる事で正しい事が実行できる様にする。この発想にたどり着いたのは、オバマ曹操を主人公とした蒼天航路というアニメを見たからだった。オバマが理性を大義で動かす実例を見せてくれた亊と、蒼天航路では、若き曹操始皇帝を名乗るチンピラの首領を論破して、相手の大義を瓦解させ、最少の被害で勝負を決したストーリーを見て、なるほど、このようにすれば権力的に勝てるのか...と思う様になった。
 
私は答えでは勝っても実行面で敗北する。答えを広めれば社会的に正しくなるが、答えが広められなければ、一人の理屈っぽい男の戯れ言に過ぎない。世の中を勝たせる為には、自分の考え方を広めなければいけないが、私には曹操の様な胆力はない。私に出来るとすれば、胆力のある人間の隣に立ってアドバイスする程度の事である。
 
胆力のある人間がいる事で、初めてエンジンがかかった様に現実が動き出す。私は子供の頃から、No.2となることはあっても、No.1にされたときは、思う様に動けなかった。なぜなら、誰も私の言葉に耳を傾けないからである。人をまとめるのが苦手だったのは、自分の答えの出し方とは根本的に正反対の集団としての他人が理解できず、それに対応するのが下手だったからだ。つまり、正しさを追求する考え方と、人をまとめる考え方は、全く別なのである。このギャップが私が正しいのに、それが広められないという状況の原因だった。
 
だから、胆力のあるNo.1を欠いた形では物事を社会的に成功に導くのは難しいと思っていたが、大義を用いれば、胆力のあるリーダーに勝るとも劣らない効果を得る事が出来るのではないかとblogのアクセス数を分析して思う様になった。
 
つまり、過った考え方を、ただ単に間違っているというのではなく、大義に背くものとして論破し瓦解させる事が、意見を通す上で効果的なのである。蒼天航路曹操がチンピラの首領にした様に...そういう意味で曹操の発想は非常に理にかなったもので納得できる部分が多い。だからこそ有能な部下が彼に味方し、三国志の中で最強になれたのだと思う。有能な政治を望むのであれば、そういう道理を通す姿勢が必要だ。道理を通さず、集団の権力におもねるようであるからこそ、日本は無能政治に苦しめられるのだ。道理に基づく正当な評価があってこそ、有能な人間が登用できる。
 
知性で世の中を見て、大義で現実(人)を動かす。それが良い指導者である。知性と大義を兼ね備えたものこそ、リーダーにふさわしい。良いリーダーは、賢いだけでは駄目で、大義を持っていなければ人はついてこない。私の過ちは賢いものを正しく評価すれば、正しい結果に導けると思っていた事だった。答えを出すのには効果的な発想だが、人をまとめるには義が足りなかった。私は正しい事が皆の利益になり、それが結果として義に繋がると単純に思っていた。だが、世の中はそれほど単純ではなかった。人によっては、正しいか間違いかという判断がつきかねて、「義」しか見えない事もあるのだと考える様になった。そう考えると歴史が理解できる。ヒトラーに騙されたドイツ人も、戦争に敗れた自分達の誇りと尊厳を回復してくれるという「義」に共感したからこそ、ヒトラーに従った。溺れるものは藁をもつかむというのは、この事なのだが、それが世の中の現実なのだ。
 
どのような「義」もやはり、正しくなければ「正義」とならない、ヒトラーやナチ党の様に「悪義」(変な造語)となってしまう亊もある。義で人を動かすのは、それが正しい判断に基づけば、正義だが、間違っていればただの悪である。
 
それをふまえて、義を用いる確信の様なものがないと、なかなか大義を用いる勇気が持てない。つまり、こちらに迷いがあると人は動かせない。なぜなら、義を主張する覚悟が出来ないから。胆力のある曹操の様な人間にはそれがある。だから、人がついていく。私の様に迷ってばかりだと駄目なのだ。