SKY NOTE

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忍耐という誤謬

私は忍耐を美徳とする人間を信じない。なぜなら、忍耐で実現できることには限界があり、また、効率性を無視する思想でもあるため、多くの場合愚かな結果を招くことを知っている。それは、暴力に等しくなることがままあり、その暴力を美徳とする段階で、人間としての品性が愚劣として私は評価を下す。

何故、私は、そこまで厳しい評価を下すようになったのか、それは、状態を理解しないで、単に努力を強いる方法は、目をつぶって全力疾走をするくらい危険なことだからである。その危険性を理解しないものは、他人を傷つけても、それが正しいと信じるあまり、他人に取り返しのつかない傷をつけることになる。

だから、他人に忍耐を要求する時には、それが持つ暴力性や危険性を把握した上で、細心の注意をして行うことが必要である。また、この苦労を美徳とする思想は、しばしば、支配者が奴隷を利用するときの方便にも使われる。要するに虐待を正当化することにも使われるのだ。故に私が何かやるとき、常に効率性を考えて行動する。なぜなら、ものすごく大変な作業だと思っていたことが、ちょっとの工夫で飛躍的に向上することがあるからだ。車輪など、重たいものを運ぶ時には道具を使ったほうが格段に効率が向上するように、仕事にもそういう効率や能率を飛躍的に上昇させる手順や道具がある。苦労を美徳としていると、そういうものに目が行かなくなり、いつまでたっても、効率が改善せず、みんなが苦労している割に能率が上がらないという事がよくある。

要するに苦労を美徳とする人間は、頭を使わない無能ということである。故に全く評価しない。私は、天才の義父を見ていて思ったのは、非常にスマートな思想で一刀両断にするところから、忍耐を美徳とするのが惨めなほど無意味だという事がよくわかる。レベルが違うというか、異次元の違いなのである。そして、これに努力や忍耐でかてるあけがないという確信を抱かせる。そういう格差が世の中にはあるという事実を分かっていれば、忍耐だけで、その格差を埋められるほど状況は甘くないと思い知らされる。

実例として、戦時中、日本はB29を倒すのに竹槍で戦おうとしたというのがある。これは、誰が見ても負ける戦いなのだが、苦労や忍耐を美徳としていると、そういう状況認識において盲目になってしまうという点が問題なのである。それは致命的な問題であり、非常に大きな間違いと言わざるおえない。そして、それが美徳である以上、非常に大きな過ちを美徳としているわけだから、正しいことを悪徳として評価し、排除することにもなりかねないため、それを無能というのだ。

よって、この記事のタイトルに「忍耐という誤謬」と書いた。まったく合理に欠く、盲目を助長する思想として、厳しく批判する。人は耐えなければいけないこともあるけれど、それを無批判に美徳としてはいけない。通らなければいけない道もある。しかし、それが常に通らなければいけない道であるかは、別で、別の道があったりするのが現実である。忍耐を美徳としていると、その別の道がわからない。盲目だから、それがわからないのだ。そして、盲目ゆえに人をどれだけ、それで傷つけても全く反省することがない。故に厳しく批判されなければいけないのだ。

忍耐のみを美徳とする人間は、盲目になりやすい。その盲目を例えるとするならば、羅針盤や海図を持たずに海へ出るのに等しい。極めて無謀である。故に忍耐だけを正義としていると、大抵、失敗する。世の中、忍耐だけで勝てる程、甘くないのである。忍耐を美徳とする人間は、酷い甘ったれである。その自分の甘さに気づけない段階で、既に失敗している。