SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ビジョンが足りないのではなく評価する姿勢が足りない日本

日本には優れた技術や研究成果があり、それらを組み合わせれば、二酸化炭素を出さない社会でありながら経済の豊かさを実現できたり、水の豊富にある土地を効率的に生かして食糧を自給する事も可能である。しかし、それらは従来産業を否定したり、補助金を積み増しをするなどの犠牲を払う必要がある。過去の産業を切り捨て、新しい産業に移行するためには、労働時間を段階的に短縮して、富を均衡に分配しなければいけない。また、エネルギー、食糧、資源を自給できるモデルが確立できれば、基本的に輸入量が少なくても死活問題にはならない為、国際競争も基本的には必要ない。将来的に第二次産業地産地消となる。つまり、ものを作る産業は、その国で作られ、その国で消費される為、基本的に日本国内の電気や自動車の産業は、その規模を1/3程度にする必要がある。そうすれば、これらの産業が消費しているエネルギーや資源も1/3になるため、日本のエネルギー自給率が相対的に高まるのである。また、都市も基本的にクラウド化される様になる。その結果、オフィスで仕事をする人が減り、自宅で仕事をする人が増える。しかし、これらは従来、都市に依存してきた産業を否定する事になる。しかし、都市が消費している莫大なエネルギー消費を削減し、高層建築の必要がないので建設需要も抑え込める。これもまた従来産業を否定する事になるが、建設業は、新築の需要ではなくリフォームが主体のビジネスモデルに転換するべきなのだ。耐震補強、環境対応などの需要を開拓していけば、地震に強く、環境にも優しい住宅が出来る。
 
さて、このように過去を否定する産業を提案する時、その必要性を説明できる勇気ある者はいるだろうか?いまのところ、いない。しかし、もしそれが出来れば、人々の労働時間は大幅に短縮される。仕事が減る分をリストラではなく労働時間短縮に割り当てるからだ。それが出来るのは、国際競争に偏った発想に縛られないだけの、食料、エネルギー、資源の自給率を確保する事が前提だが、どうやら、現在の研究成果を見る限り、2020年までには、その技術的な骨組みがほぼ完成するだろう。
 
また、外貨に依存しない社会を作り出せれば、円が高くなろうと安くなろうと、全然関係ないので公的債務を日銀が買い取っても、ある程度の物価高騰リスクは吸収できる。それ以前に日本の財政の無駄を省かなければいけないが、官僚と敵対する勇気のある者も、現在の日本の政治家には少ない。
 
日本を存続させる技術や選択肢は、既にあるが、それをやるのには、過去を否定する必要がある。それを打ち破る勇気が今の日本には足りない。平均年齢が40代のこの国には、もはや新しい事は何も出来ないのか?そんな事はない。ただ、新しい事が生み出す可能性を皆が知らないだけなのだ。そして、その可能性は、リストラの口実に国際競争を持ち出すようなな愚行をしなければ、皆が豊かになれる社会になる。
 
その可能性を邪魔しているのは何か?愚かなマスメディアである。彼らの考え方は古い。非常に遅れている。大体15〜20年くらいは遅れている。遅れた発想で情報を発信している為、日本人が受け取る情報も、発想的には15〜20年遅れたものになる。それが私たちが変われない理由の最たるモノである。しかし、これも2020年までに解決できる可能性がたち始めている。なぜなら、iPadやGoogleTVの様なインターネットメディアの普及が旧来マスメディアが持っている紙や電波の既得権を破壊するからだ。その結果、古いマスメディアが新しいメディアに駆逐される事で私たちの手元に来る情報も新しい発想のものになる。日本にとって良い事は、読売新聞、朝日新聞毎日新聞社産経新聞日本経済新聞日本テレビ、フジテレビ、TBS、テレビ朝日などの旧メディアが新興メディアに駆逐される事。なぜ、私たちはこれらのメディアを見ているのかといえば、テレビは新しいチャンネルが出てこなかったり、新聞は毎日届いてくるからである。しかし、これがインターネットテレビタブレットコンピューターになると、参入障壁はゼロ。結果としてライバルが沢山の大競争時代に突入する。新しい時代に移行したかったら、タブレットコンピューターやGoogleTVを皆が買う事なのだ。そして、古い旧メディアの情報ではなく、なるべく新しいメディアのニュースを定期購読するのべきなのだ。それが日本を変える事になる。
 
そう、日本に足りないのは、新しい発想に基づいた情報なのだ。それがコンセンサスになる事で新しいビジョンが皆に認められるようになる。古い発想の問題点は、現代の状況との整合性がない事だ。例えば競争力を高めて国際競争という論理を聞いても、日本が高齢化していき、競争で常に勝つ事が難しくなり始めているのに、なぜ、競争を無理にやる必要があるのか?それは、彼らが食料、エネルギー、資源が自給できないという古い前提に立っているからである。しかし、新しい前提に立てば、それは違うとハッキリ言えるのだ。これからの産業は地産地消になるのだから、国際競争というコンセプト自体も古い。これは15年位前の発想であり、もはや、時代は、国際競争ではなく、サバイバル競争と言った方がいいかもしれない。なぜなら、食料、エネルギー、資源の価格が高騰する中で、生き残る為に最も効率の良い社会を作り上げた国が、結果として優位に立つ。日本は技術的には、この分野でトップクラスであるが、発想的には下から数えた方が早い。この情報(発想)と現実のギャップが日本の問題なのである。最も優位な立場にいるのに、それを生かす新しい発想を持っていない為に、それを生かせない。それが日本の問題なのだ。