SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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自尊心というコスト

人を説得する際に、難しい事を理解する「知的コスト」があるが、それと同時に「自尊心というコスト」もあると思う。例え分かりやすく説明しても、それが本人の自尊心を傷つける内容である場合、その意見は通らない。私はいつも嘘を言わないようにしているが、これが問題で本当の事が常に相手にとって気分のいい事であるとは限らない。むしろ、気にくわない事がある。例えば、blogのコメントに私が反論のコメントを書くと、承認制のところでは、その反論が承認されず公開されない事がある。全て本当の事を書いており、嘘偽りはない。だが、そのblog記事に対して厳しい批判となっているため、承認されず公開されない。
 
つまり、自尊心を考慮しないと正しい事であっても、他者の承認を得られず影響力が限定される事がある。なぜ、承認されない理由が自尊心と特定できるのかというと、要するに事実に基づいた批判を拒否する理由は、事実以外の拒否理由によって否定されているワケであるから、大抵は、その人の主観、自尊心である。
 
そうやって他人の自尊心を無視する自分は気に入った人間、特に子供などの自尊心は大事にする。その結果、事実を敢えて伏せ、最終結果に誠意を込めておだてるという事をする。だが、おだてるというよりも、その子の優れたところを褒めて、引き伸ばしていく形だ。要するに自尊心を引き上げる事で自信をつけさせる。そのことが最終的には、良い結果を導くと考えて褒める。大抵、私は人の気分、社会の気分を知っている事が多く、調子に乗っている時は、他人を褒めて人の気分をのせまくり、それを社会の気分に乗っけるという事をしたりする。そういう時に成功する奴とかが出てきたりして、後でビックリする。
 
普段の私は、気に入らない人間が大半なので、本当の事を冷淡に喋り、他人の自尊心を傷つける為、私の意見は通らない。そんな事をしていると、追いつめられてどうしようもなくなるので、そういう時は方針を翻して、自分の本意でない事を喋りだし、かろうじて自分の意見を通すという事をしている。気分が乗らない上に、そういう事をすると胃が痛くなるのでやりたくない。結局、そういう事って、体にダメージを与えるのでやりたくないのだ。自分の好きな人間には、気分よくやれるので体にダメージはない。だから、気軽にのせて、気軽に前に進める感がある。
 
気分で動くのは、気分以外だと体にダメージが生じるから、そして、それが蓄積するときついからであり、その気分を解消する術は相手を好きになる事なのだが、自分の好みの人間ばかり都合よくいるわけではないので、我慢が必要になる。しかし、その我慢にも上限があり、それを越えると体調を崩してしまう為、我慢の乱発は厳しい。そもそも、我慢という発想自体が嫌いだ。自分だけ悲劇のヒロインみたいな傲慢で醜い考え方のように思える。自分の了見がもっと広ければ、相手への好き嫌いも少なくなり、その結果、相手の自尊心を傷つける事なく、自分の意見も通せるような気がするが、私はもっぱら了見が狭く、ある意味、幼稚な感性の持ち主でもある為、そういう事が出来ていないのだろうと自己分析している。
 
他人を説得する際に必要なコストダウン
・知的コストダウン  → わかりやすく
・自尊心コストダウン → 気分よく
 
分かりやすく説明しても、相手にとって気分を害し、それを受け入れるのにコストが生じる場合は、より多くコストが生じる問題と比較して相対的にこれがベストという説明をすると効果的だが、その比喩がすぐ頭に浮かべばいいが、調子の悪い時には頭に浮かばない。やはり、頭をキチンと動かす為に朝食を食べておいた方がいい。飯を食っておかないとそういう機転は働かない。特にリアルタイムで進行する会話では、非常に難しい。また、相手に対し、途中、どの経路を通っても最終的な結果に誠意を込める事で嘘っぽいおだてにならない。その免罪符をもっておだてるのも、ひとつの手かもしれない。私はもっぱら自分の体力の上限を気にして、人に嫌われまくっているが…