SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私が人の運命を変えるパターン

私はたまに人の運命を変える事がある。そういう時に共通するのが「当然」というファクターだ。つまり、それは本来当然であるべきであって、それがそうでないことがおかしいという。「あるべき論」から出発している事が多い。
 
ジョーク一発で人の運命を変えたのは、そのジョークが「人が怒って当然の事」に応える形のジョークを言った時、それをネタにして他人が成功して、運命が変わってしまった。
 
当然そうあるべきだという意見が、実現された時、それが大成功に結びつく。それを実現するのは至極大変な事なのであるが、私がそういう事を言う時、そういう事をやってしまう人間がたまたま、そこに居合わせる事が有り、その結果、その人の運命が変わってしまうのだ。
 
私は自分が発想力が優れているかと聞かれると疑問符がつく、なぜなら、当然あるべき形というのは、オーソドックスなのであり、そこには、あまり創造性を感じない。ただ、当たり前が実現された時、皆がその当たり前に納得する。その結果が大成功という奴になる。
 
だから、当たり前に成功の種があるといいたい。当たり前といっても、既存の固定観念に近いものではなくて、人としてこうあるべきだとか、ある種の理想、理念に近いものがある。理念理想の背後に当たり前がある。普通の当たり前は一種の惰性、過去との継続性の中にあるものだが、私の場合は、どちらかというと、ロックの自然法に近いものがある。人としての理想があって、それに適合していない現実を否定する。そういう理想という視点から見れば、現実こそ非常識であり、当然の事が出来ない理不尽な状況という事になる。
 
そういう意味で、私の当たり前は通常の当たり前の視点とは180度違う。現実から見た当たり前ではなくて、理想から見た当たり前なのだ。そして、その理想を実現してしまう人間が自分の周りにいて、実現されてしまうと、大きな結果となる。それが私が人の運命を変えるパターンなのだ。つまり、私の周りに偶然、力のある人間がいただけと言える。私は、その力のある存在にきっかけを与えただけ。