SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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アグネスチャンの善意は偽物である

相手の意思を分析する時、その行動がどんな目的に対して合理的か考えてみる。児童ポルノ法を施行した結果、強制わいせつが2倍に増えた事実に対して、アグネスチャンのような人は、どういう意識で動いているのか?犯罪を減らすどころか逆に増えてしまっており、彼女の目的と反する結果を招いてしまったのにも関わらず、今回の非実在青少年という新しい規制を立案し、東京都に働きかけているところを見ると、彼女の目的は犯罪者を減らし、児童を守ると言う考え方よりも、自分の考え方と違う者への憎悪で動いていると考えるのが妥当だ。もし、犯罪者を減らすという目的ならば、自分たちが作った児童ポルノ法で性犯罪者が増え、子供を犠牲にした事を後悔するはずなのだ。しかし、彼女は後悔していない。悪いのは、自分の非現実的な行動ではなく、そういう者を好む考え方であると考えている。だから、そういう考え方を広めていると思われるメディアを弾圧しようとしている。実際はポルノがある事で性犯罪は減るのである。各国の科学的な統計でも明らかだ。実際、デンマークではポルノを解禁した事で性犯罪が減ったのだと言う。ポルノによって、欲望のはけ口が仮想化されて、現実に向かわずに済んでいるのだ。
 
日本の性犯罪者性犯罪の推移(犯罪白書
警察庁の性犯罪の統計データ(5ページ目参照)

 
また、人間は弱いものだから、もし、規制を作った事で犯罪が増えてしまった現実を認めてしまうと、自分自身の社会的地位が地に落ちる事を恐れているのかもしれない。何せ、児童ポルノ法で強制わいせつを4000件を8000件に増やしたのだから、もし、犯罪一件あたりひとりを犠牲にしたのならば、4000人も犠牲にした事になる。それを認めたら彼女は、多分おしまいであると考えているのかもしれない。しかし、もし本当に子供の事を考え、現実を直視するのならば、自分の事など考えず、ただちに自分の考え方を改めるのが本当の善人の行動であるが、彼女は善を行うには勇気が足りないのだと思う。あるいは、そもそも、その勇気を振り絞るであろう善意が元よりないのかもしれない。私は、奇麗事を言う人間は、他人を守ると言いながら、実際には自分を守っている事が多い事を私は経験則で知っている。彼らは、こういうのだ。「私は他人を守る為に、こうするのだから私に従いなさい」と、しかし、そういった行為と現実にはギャップがあり、そういう人が行動すればするほど、周りの人間が苦しみ、その真ん中にいる自分だけは一番いい場所に陣取っている事が多いのだ。しかも上っ面は奇麗事で着飾っているから、周りには、それがおかしい事だとは感じられない。だけど、私がそれが分かるのは、そういう奇麗事で苦しんだ人間のひとりだったから分かるのだ。
 
本当の目的は、他人ではなく自分を守る為であると、もし、人を守る為ならば、人が苦しんでいる時、助けるはずだけど、それを一切せず、ただ目の前の現実から逃げている。それが彼らの実態(この場合、規制を作った事で多くの子供達が犠牲になっているのに、この犯罪を増やした原因となった規制をやめるのではなく、新たな規制を作っている)その逃げる為の方便に奇麗事を利用しているだけなのだ。アグネスチャンも、恐らく現実から逃げているのだろう。自分が犯した罪から。逃げて、逃げて、一生懸命逃げているけれども、現実が常に彼女の意思を否定する。彼女のような人間を周りが認めれば認めるほど、被害者が増えていくのだ。
 
もし、本当に正義を追求するのならば現実から逃げずに戦う勇気をもつべきである。自分で自分を潰すくらいの覚悟が出来るはずだ。しかし、それが出来ないのは、彼女の善意が本物ではないからだ。偽物の善意、それを偽善と言う。彼女、アグネスチャンは、善人の仮面をかぶった偽善者である。多くの人には、その仮面の実態が分からない。だから、この文章も非難されるか無視されるかのどちらかであろう。
 
しかし、重ねて言いたいのは、人が苦しんでいる時助けようとするのが本当の善意である。それが出来ず、それと逆行する行いをするのは偽善である。自分を守る為に同じ過ちを繰り返そうとするのは、それは他人を守る事よりも自分を守る事を優先している証拠である。
 
私の祖母がそういう人だった。いつも「家の為、家の為」と言ってわたしを黙らせた。だが、実際にやっていたのは、私に一方的に譲歩させて争いを治めていただけ、公平に物事を裁き、問題を解決するのではなく、言うことを聞く人間を利用して争いを疑似的になくして自分が欲しい平穏を獲得していただけ。本当の正しい事をやろうとすると、大抵、誰かに恨まれるものである。皆に気に入られようとすると、その行為は八方美人になる。祖母はそういう人だった。わたしにも家族にもいい顔をしていたが、わたしが苦しい時、助けてはくれなかった。むしろ、苦しい私に譲歩をさせて、さらに苦しめた。その時、私は祖母の本性を理解した。「この人は逃げたいだけなんだ。その為に俺を利用しているに過ぎないんだ」と。それが分かったのは、本物のの優しさを見たからだった。私が学生時代ショッピングセンターでトボトボ歩いていると、先生と、その母親がいて、先生の母親がわたしを見るなり非常に心配していた。ああとで先生に聞くと「彼は物凄く疲れている」とびっくしていたのだそうだ。人が苦しい時、それを一目で見て心配できる人間と、自分を守ろうとする意識が強すぎて、他人がボロボロになっている事に気づかずに、己が欲しい平穏の為に、他人を切る人間と、どちらが正しい人間かと考えれば、断然前者であり、後者の祖母は偽善者だった。偽善者は人を苦しめても、その苦しめた人間をさらに苦しめる行為を平然と行うから分かる。本当の善意があれば、そういう事は出来ないからである。
 
本当に正しい児童を守る術は、仮想的なメディアに対する規制を緩和して欲望のはけ口を仮想化する事を徹底し、現実の犯罪については厳罰をもって処すれば良いのである。ポルノ規制は解除、現実の少女を写した写真はダメ、でもCGはOKという事にすればいい。それが一番、正しい方法論だと思う。CGならば誰も犠牲にならない。CGを規制すれば、現実の子供が犠牲になる。だから、CGを認めて、リアルを否定すればいい。それが現実的な対応と言うものだ。この問題の肝はイメージ的に正しいであろう事と、現実に正しい事のギャップが大きい事。それがある意味、問題。クローズアップされればされるほど、現実と乖離したイメージだけが独り歩きする傾向があるのは、マスコミが犯罪白書などの現実を伝えていない事が問題だ。マスコミもまた保身の為に子供達を犠牲にしている輩のひとつなのかもしれない。