SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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「こだわり」が「高級感」を生む

テレビで東急電鉄を作った五島慶太という人物を見ていて思った。彼の町づくりへのこだわりが、田園都市線沿線の高級住宅街を産み出したのだと。

学校があって、娯楽施設があって、ショッピングが出来て、病院があって、それらを繋ぐバスや電車がある。そして、単に町としての機能面だけでなく安らげる自然も残している。そういうコンセプトで作られたから「田園」+「都市線」なのだ。都市と自然の融合、町というものが人を中心として成り立っているという彼のこだわりが作り出した世界、その彼の「こだわり」が高級感を生み、人を集め、その結果、土地の値段があがる。
 
つまり、優れたコンセプト(こだわり)があり、それを実現できる実行力があれば、それは壮大な構想力となって莫大な金を生む。現代で言えばAppleがそのいい例だ。彼らは、とてもこだわって製品作りをしている。彼らは価格にこだわったから、シェアがとれたのではない。いい製品を作ったら、沢山の人が買った。そのおかげで量産効果が生じ、安い製品が作れる様になった。つまり、その全ては「こだわり」から始まっているのである。
 
こだわりと言っても、単に「自分だけのこだわり」ではなくて、「人に対してのこだわり」でなくてはいけない。私はソニークオリアがダメだと思ったのは技術者のくだらない独り善がりの「こだわり」を具現化したものだと感じたからだ。クオリアには、一台百万以上の非常に高額な製品があった。だが、そういう高くてもいいという発想からは、独り善がりなこだわりが生まれやすいのだ。皆が買える位の値段に安くすれば沢山の人が使う。そう考えると自然に人を意識する。
 
一番大事なのは、普通よりちょっと高いくらいの値段で、こだわりを発揮する様なポジションを持つ事である。つまり、プラスα的な姿勢誰もが享受できる視野の広い姿勢でこだわる訳である。そういう利他的な「こだわり」が生む高級感に人は惹き付けられ、そこに価値や流行が生まれる。大事なのは他人に対する「こだわり」である。それは人を大切に思う当たり前の感性から生まれる。そういう当たり前を忘れたところにソニーの没落があり、そこに気づいた所にAppleの躍進がある。
 
人に対するこだわりは、時に優しさとなって現れる。そういう優しさを捨てて数字を眺めて、数字が多い方が勝ちというのは、所詮その程度だという事だ。五島慶太田園都市線や町を残して死んでいったが、サブプライムローンなど金融業界が残したものはぺんぺん草一つ生えない悲劇である。中身のないものは時と共に滅び、中身のあるものは残る。そうやって残るものを人は本物という。
 
他者への「こだわり」が本物を生む。数字に利己的にこだわったものは、所詮、偽物、それまでということである。安売り店でも数字に利他的にこだわっていれば、大きくなる。商売は利己的であってはならないのである。お客にメリットがあってこそ、買ってもらえるのだ。そういう利他的な安さは価値があるが、単に安いだけで何のこだわりもないのならば、お客にとって高級感(価値)のあるものではない。それは日用品と同じになってしまう。(つまり、安ければ安いほどいいという商品になってしまう)