「モノ」的都市から、「映像」的都市へ
温暖化を防ぐには、新しい都市が必要だ。それは、コンクリートも鉄骨も必要のないモニター上に存在する都市である。また、移動するのに車や電車を使う事もない。なぜ「モノ」ではマズいのか、それは、そういうものほど、エネルギーや資源を大量に消費するからだ。(四川大地震の復興には、電子都市と耐震住宅がメインになるべきだと思う。復興する時期が電子都市への移行の時期と重なるから)
そこで、新しい都市がどのように出来るの考えてみた。
第一世代(現在)
セコンドライフをはじめとするバーチャル世界が生まれた。
第二世代(2009年以降)
音声で会話でき、尚且つ本人の顔の動きから表情まで再現できる。また、本人そっくりのアバターが作れる。恐らくソニーの「Home」が第二世代に該当するだろう。
第三世代(2013年以降)
裸眼立体ディスプレイにより、目の前に本当に人がいるかの様な錯覚が生じる。現実と大して変わらないので、都市の形が変貌する。また、この時期から、リアルかバーチャルかなどという発想が、ある面で無意味である事を体験的に理解し始める。
Wiiリモコンの様なコントローラーで片手で移動できる。リビングに座ってコントローラーを握ると、指紋認証(コントローラー)と顔認識(カメラ)のチェックが行なわれ、本人に自動ログインされる。ここで年齢やパーソナルデータの照合が行なわれ、広告などは、そのパーソナルデータを元に提供される。この時期になると、もはや、あらゆるサービスが電子化されており、バーチャルヨドバシカメラとか、バーチャルグッチとか、そういうお店が出てくる。
衣類は本人の正確なプロポーションのアバターを使って、何度でも着替える事が出来るし、家電製品は店員に疑問点をお店にいかないで聞く事が出来る。
仕事は電子ペーパー(ノートPC)の書類とPCのモニター上のオフィスがシームレスにつながっている。