SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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今日、キレイなものを見ました。

桜が散り、青葉が茂る街路樹を見た時、「ああ、そうだったのか、忘れていた」と思った。というのは、その風景がとてもキレイに見えたからだ。人間は生きて行く為に勝たなければいけない。そのことは理屈としては分かっている。だが、今まで私を裏切ってきた者たちもそういう考え方をしていたのだと思う。誰かを負かせて自分を勝たせる。そういう考え方をしているからこそ、私を裏切ったのだ。それはとても汚いものだ。だから、勝つ為の行いには、絶えず汚さがつきまとう。しかし、街路樹の美しい並木を見て、自分が望む方向性は、それとは違うと言う事が分かった。そうじゃないんだと、勝つ為じゃなくて、美しさの為に頑張ろうと言う事だった。確かに生きる為に勝つ事は必要、しかし、その為に美しさを失っては駄目なんだと、そう悟ったと言うか、直観した。

私が望むものは、美しい設計図のようなものだ。その設計図には人の幸せが書かれていて、どういう風にすれば人が幸せになるかと言う設計図が書かれている。私は、その為に生きている。それは勝ち負けと言うくだらないものじゃないんだと。どうも頑張れなかったのは、それが勝つ為に必要だった事だったからだ。そうじゃなくて、美しいもののために頑張る事が、私の本懐だったのだ。だから、勝つ為の理屈で動く事は出来なかった。やる気が出なかった。

生きると言うのは、勝ち負けというつまらないものの為に頑張るよりも心の中に美しいと思ったもののために頑張る方が、よっぽどやる気が出る。そして、自分の正直な思いと言うのは、それは過去に裏切られてきたからこそ、その裏切りをした人間と同じ考え方をしたくないという思いが、そうさせたのだと思う。

もっと言うと、闘争ではなく、ビジョンの為に頑張りたいのだ。美しいビジョンがあって、その為に頑張りたい。これを忘れていたのは、311以降、日本社会がおかしくなって、美しいビジョンを描く事すら出来ないからだ。特に安倍政権になってからは酷いものだ。明るい未来のビジョンを描きにくくなり、実現が困難だという事を直感的に感じ取った私は、自分のビジョン中心の発想を忘れてしまったのだ。このドアホに勝たないと、普通の状態にすらならないと、しかし、私は、その程度のものに何らモチベーションを感じなかったのだ。それは所詮、勝ち負けの理屈だったからだ。そうではなくて、その先のビジョンがあって、その為に頑張ると言う形でないと、自分は本気になれなかったのだ。「何かやる気が出ない、どういうことなんだ」と思っていたが、それが美しい街路樹を見て「ああ、そうだった。忘れていた」と直観した。

所詮は勝ち負けと言うのは、目的の為の手段に過ぎない。その手段でしかないものに拘泥し、美しさを忘れた状態では、私の感情が、それに何ら魅力を感じなかったのだ。同じ勝負を挑むのにも、そこにビジョンがないと駄目なのだ。そのビジョンを実現する為の手段としての勝ち負けという形でないと私は本気になれなかった。なぜなら、単純に勝つ為であれば、コップの中の勝敗にこだわればいい。そうじゃなくて、コップの外の美しい風景を実現する為に、自分は頑張るのだと考えると、頑張れる気がするのだ。

自分は、勝ち負けの為でなくて、ビジョンの為じゃないと頑張れないんだと、そう青葉の茂るキレイな街路樹の風景をみて思った。