SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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上手くいかない時のイメージで頑張れるかが決まる。

人は感情によって動く、モチベーションも感情だ。そう考えると感情をコントロールできるとモチベーションもコントロールできる事が分かる。

そう思うと、私の子供の頃のモチベーションは最低だった。上手くいかない事が多すぎて、その時に他人によく批判された。そういう意味で上手くいかない時の私の感情は最悪である。チョットでも上手くいかなくなると、不安と恐怖で苦しくなる。それだけ最悪の感情しかないのだ。

しかし、振り返ってみると、その多くの失敗は、他人がもたらしたものなのだ。私の得意でない事を他人が無理強いしたり、強制する。それで失敗すると、酷く罵られる。私は運動が苦手だった。もっというと、才能がなかった。いくら運動をしても筋肉がつかない体だった。そういう体もあるのだ。

塾の先生も新米の先生で子供の自尊心の事なんてよくわかっていなくて、乱暴な教え方で子供の自尊心を台無しにするような先生だった。

そう考えると、私が不安に思っている事というのは、大抵が他人がもたらした事だった。乱暴で粗野で明後日の方向の事をやって他人を振り回し、振り回されて目が回っている私を罵倒する。自分勝手も甚だしかった。

私がガラスの器だとすると、それを振り回して、投げ飛ばし、壁にぶつけて壊す。それで壊れたといって役立たずだといって罵る。そもそもガラスの器は振り回すものじゃないし、ぶつけたら壊れるのは当たり前、そういう当たり前の事が分かっていないセンスのない人が私の周りには沢山いて、そういう人間たちに私は罵倒されて、精神的にまいってしまった。

そういう感情だから、うまくいかなかったのだ。彼らの粗暴さを思い出す度に私は、苦しく辛い思い出から不安になり、やる気がなくなってしまう。でも、よく考えてみると、私がやった事ではないのだ。他人のやった事、しかも、酷く駄目なやり方。ダメになるのは当たり前の粗暴さ、センスのなさ、愚かさ。それらが全て詰まったようなもの。でも、私だったら、そう考えない。まず、辛かったら自分を励ます。勇気づける。自分の得意な事をして苦手な事はしない。苦手な事をやるときに、人を罵倒したり急かしたりしない。私だったらそんな無意味な事はしない。

もし、私が私の心をマネージメントするならば、辛い時の自分の感情に配慮して励ます。そして、自分がどれだけ酷いイメージに苦しんでいるか自覚し、それが現実ではなく、過去の酷い体験から生み出された幻だと認識する。そうすれば、私の感情は満足して、頑張れると思うのだ。

例えば、マラソンを走っていたとする。長い距離を走っていて、とても苦しい、そういう時に沿道の人達が、声援を送ってくれるのと、罵倒されるのとでは、気分がまるで違うだろう。苦しい時ほど励ましが必要なのに、そういうものがなかった子供時代を送った私の心の中のイメージは苦しく、辛いイメージしかない。この辛さに耐えるのは困難だ。精神的に参ってしまって努力が出来ない。しかし、普通のまともな家族の元で生活している健全な子供であれば、辛い時には励ましてもらえるだろうし、元気づけてもらえる。だから、苦しくても、沿道で声援を送られて走るマラソンランナーのように、頑張れるだろう。そういう心の中の風景が、その人が頑張れるか頑張れないかを左右するのだ。私の子供の頃は、苦しい時ほど、人を追い討ちするような事を言う人がいた。また、それを止めようとすると、争いを起こすなとして、止められなかった。そう思うと酷い家だった。