SKY NOTE

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無理強いと疲労の関係(圧力の限界)

無理強いと疲労の関係(圧力の限界)

自分は疲れやすい。そんなに大変な事をしたつもりがなくても、疲れてしまう。他の人を見ると同じ事をしているのに、まるで疲れていない。今までは、自分は学校の体育ではビリだったから、体力が弱いから仕方がないと思っていた。しかしながら、それでも、人の数倍疲れてしまうこの感じは、どう見てもおかしいと疑問に思っていた。先日、とても緊張する事があった。緊張したので短時間のうちにどっと疲れた。そして、その疲労の感じと、自分が感じている疲労感が似ている事に気付いた。これはどうやら緊張が疲れの原因ではないかと考えてみると、短時間で人の数倍疲れる理由の説明がつく、自分は人より緊張する事で、数倍、疲れてしまうのではないか?

考えてみると、子供時代に自分より強いものが沢山合って緊張のし通しだった。そう考えてみると、そういう圧力の中では、緊張する事が常態化してしまう。家でも機能不全家族(情緒的に成熟していない秩序のない家庭)の中の子供は、自分の感情に無頓着なのだという。確かに自分は、他人に辛いとか苦しいとかあまり言った事がない。思えば、苦しい時も苦しいと言わないし、辛い時も辛いといった記憶があまりない。徹底的に自分の感情に無頓着だったから、自分が緊張していても、それに対する自覚がない、無意識のうちに緊張し、体力を人の数倍浪費してしまう。そう考えれば、自分が人より数倍疲れてしまう、おかしいと考えてしまうのも無理はない。要するに自分の感情を感知していないので、自分が緊張していたから疲れたんだと言う結論が出せない。

痛覚がマヒして、体が傷ついていても分からないように、心が緊張したり、傷ついていても、それに気付かないで頑張るから、人の何倍も疲れてしまう。疲労により集中力が落ちるから、パフォーマンスがでない。そう考えると無理強いがマズいのも分かる。圧力をかけて人にモノをやらせると、確かに言った通りに従いはするが、圧力によって生じる緊張状態が、通常の何倍も疲労を増幅してしまう。それに対して、お互いに信頼しあっていて余計な緊張があまりない集団の場合、人は余計な疲労を抱え込まず、仕事に集中できる。恐らくこのパフォーマンスの差は数倍違ってくるだろう。つまり、子育てで言えば、お互いが信頼しあっている余計な緊張のない良い家族の中で育った子供は、自分の能力を100パーセント引き出せるのに対し、緊張状態が続くダメな家族の中で育った子供は、緊張による疲労でパフォーマンスが数分の一にさがってしまうだろう。恐らく、私が自分の感情に無頓着だったのは、そういう感情のスイッチを切っておかないと、常態化した緊張状態を切り抜ける事が出来なかったと考える事が出来る。しかし、副作用として、自分の感情を感知できず、自分がどれだけ緊張し、不安や精神の負担を感じているか把握できず、結果として、自分が疲れてしまう理由が分かっていなかった。私が常態化した緊張状態に置かれたのは、祖母が原因だった。あの人は、何でも我慢、我慢、我慢、我慢が美徳の人だった。そういう抑圧の中で、自分の感情を押し殺して生きてきた。あの人は人が怒っても自分が間違っていたとは考えない。自分の考え方が分からない愚か者としか捉えない。そんな人に家の中での最高の権力がある。だから、黙るしかない。他人の感情をきちんと認めると言う習慣がない人だった。我慢という名の抑圧によって生じる平穏が平和だと勘違いしていた人だった。つまり、他人の感情が理解できない感情的におかしな人だった。おかしな人につき合っていたので、私も心がおかしくなってしまった。

余計な話はおいて置いて、要するに問題は、元々体力がない事に加えて、無駄に緊張している事と、自分がそれを感知できない事で、慢性的な緊張状態となって、それが疲労を数倍に膨れ上がらせてしまう。いわば、精神的な痛覚がマヒしていて、緊張状態を慢性化させ、疲労を数倍にしてしまっていたと考えられるのだ。辛い事は辛い、苦しい事は苦しい、そう自分の心を感じて、緊張している自分と向き合う。そこでリラックスする事を考える。肩の力を抜き、自分の緊張をほぐすようにイメージをする。そうすることで、疲労を大幅に減らせる可能性がある。無理強いがダメなのも分かる。無理強いのような圧力では、緊張が続くから疲労が膨らむ。圧力をかける事で人は従うが、しかし、それが必要以上にあると、無駄に生じる緊張がパフォーマンスを大幅に下げてしまう。そう考えると、愛の力というのは、科学的に説明できる。愛によって人は緊張から解き放たれる。例えば、宗教で言う祈りは、神に守られていると思う事で安心し、緊張がほぐれ、疲労しにくくなる。能力の全部を使って物事に当たれる。だから、力による抑圧は結果が出ない。それよりも、愛と信頼の方がよほどパワフルなのだ。恐らくパフォーマンスは数倍違ってくるだろう。

そう考えると成果主義の問題点が浮かび上がってくる。成果を出さないと圧力をかけると言う手法は、従業員を無駄な緊張にさらし、パフォーマンスを下げる。恐らく能力が数分の一になる。それよりも、最近やっている下町ロケットの中小企業の社長のように、理念と愛に溢れたやり方の方が、人は何倍も頑張れる。愛と理念に頼って効率を無視するのはダメだと思うが、抑圧による支配は能率が低くて効率が悪すぎる。ダメなやり方だ。

信頼関係があるからこそ人は頑張れる。それをしないで力だけで支配しようとすれば、無駄な緊張に体力を奪われ、能率が数分の一になる愚を犯す。それはあまりにも愚かだ。

そう考えると、人に物事を伝える時も考えなくてはいけない。というのは、疲れている人に対して、緊張させるような内容をそのまま喋ってしまうと、人は疲労を本能的に避けようとして聞く耳を持たない。例えば、悪政を伝える時、そのまま伝えたら、人はそのマズい政治に緊張するし、失望する。しかし、それを冷静な分析と、対処法を添えて、こうしようという提案型の主張をしたら、人は緊張する事なく聞く事が出来、それ故に聞く耳を持つのではないだろうか?そして、その聞く耳が広がっていく過程で社会が変わっていく、歴史上では、キング牧師の有名な「 I have a dream!」がある。人に愛を与え、それによって、緊張を解きほぐし、人々を一つにまとめ公民権運動を成功させた。愛でも、素晴らしい提案でも、緊張を解きほぐす事でパフォーマンスが何倍にもあがる。そのパワーが家族でも、企業でも、社会でも、変えていくのだ。そういう意味で、愛と信頼は偉大だと言うのが最後の結論です。それがあると、人は何倍もパフォーマンスがでます。

力の支配は弱い。パフォーマンスが数分の一に下がるから。