SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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力に対する信仰、その不毛さと愚かさ

安保法制に賛成している人に共通しているのは、力に対する信仰が強く、いかなる道理も、力の前には無力という発想のように見える。このような発想の間違いは、アメリカをみると分かる。アメリカは圧倒的に軍事力が大きい、最強だ。しかし、そのアメリカですら、イラクという国1つも平定できない。なぜなら、民をまとめる道理がないからだ。誰もがアメリカの戦争に対して理不尽だと思っている。戦後の貧困もアメリカがいけないと思っている人が沢山いる。だから、国がまとまらない。

実際、大量破壊兵器はない上に、戦争で国内インフラがボロボロ、再建する際には米国の企業がイラクの復興事業を受注してイラクの富を収奪し、弱った国の中にISのようなテロリストが産まれ、それとの戦いに苦労し、戦いが終わらない。アメリカの2003年のイラク戦争には、その前のクェート奪還の時と違い道理というのものが全くなかった。

国というは、信なくば立たずというように、信頼に基づかなければダメで、当然、道理が立たないとダメだ。それがなくば収拾がつかなくなり、混乱が続く、暴力というのは、この信頼を一瞬でぶち壊す。だから、相応の理由がない限り、戦争をしてはならないというのは、その後の戦後処理が完全に行き詰まるからである。道理を軽んじる人間は、そこまでは考えていない。力で圧倒すれば結果が自動的に後でついてくると簡単に思っているフシがある。しかし、世の中そんなに甘くない。人は過去をほじくり返して、妥当でないことには、ずっと怒り続けてくすぶり始める。そして、それゆえにまとまらない。

だからこそ、戦争というのは慎重でなければいけない。安保法制のような杜撰な法制度で安易に国が戦争をするような事があってはならない。国家全体が二日酔いになったように頭の痛いお荷物を抱えることは目に見えている。力を信仰する人間は、一気飲みをする若者と同じで、道理なき行いの怖さを理解していない。延々と苦しめられ、複雑化し、悪化していく状況を自ら生み出しつつ、その出口が見えないという危険な道を選ぶのは不毛であり、愚かである。場合によっては死ぬこともある。そういうものである。怖さがわからないというのは恐ろしい。

昔は、力を使えば、その力をうまくひっくり返されて、倒されるという体験をすることで、力だけの弱さを理解するのだが、多分、今の世代はひっくり返してもらったことがないのだと思う。だから、あそこまで甘いのだ。ガキ大将とか、組織というものもわかっていないから、力だけで威張っても信頼が勝ち取れないという事もわかっていないのだろう。もちろん、これは自分が強い場合で弱い場合は、コテンパンいヤラれるという事を考えれば、逃げるのも正しい生き方というのもわかると思うんだが。それもない。あらゆる意味で、モノを見る目、評価する眼、考える目、なにもない。未熟過ぎる。そう言う人間は、痛い目にあって、学ぶしかないが、戦争という形で他人を巻き添えにするのはかんべんして欲しい。

  • Obi - Wan Kenobi Vs Darth Vader HD
  • この中で、オビ=ワンは自らの死によって執着を捨てるをことをルークに諭し、ベイダーのライトセーバーの前に倒れる。力への信仰とは一種の執着であり、その執着を捨てた時に、真のフォースに目覚めることをルークに教えるオビ=ワンのこのシーンは、その後の悪に溺れないルークの成長によって、その意味が証明される。最後の皇帝との闘いで、その真価が表現されている。今のアメリカはダースベーダそのもの、力に執着した成れの果て。