SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

友達失格 「人の弱さを理解しない自分」

私は最近、人の弱さについて考えることが多くなった。というのは、今まで私は人の心の弱さなど考える必要などないと思っていた。なぜなら、私は自分が人よりも弱いと思っていたから、弱い自分よりも、さらに弱い人間などいないと思っていたから、そういう事を考える必要はないと思っていた。

だが、自分に友だちがいない理由について考えてみると、それは、私が他人を追い詰めてしまっているのではないかと思うようになった。私は、他人を心配し忠言することがある。だが、それはいつも受け入れられず、相手が失敗するのを眺めていることが多い。

私は自分が正しいことをしているはずだと思っていた。確かに間違っていなかったとは思う。ただ、人の弱さに配慮はしていなかったと思う。なぜなら、他人は自分よりも強いのだから、それをする必要はないと思っていたから。でも、私に友だちがいない理由は、恐らくは、この人の弱さに配慮しない冷酷さにあると思う。

私は自分が冷酷であるとは思わなかった。相手を危険から救おうと思っていた。だが、相手の気持を理解しない私には、人を救うことは出来なかった。そして、それ故に私は友がいない。人を救うということは、相手を精神的に救うことと、同時に、現実の危機から救うことの二種類があると思う。私は現実の問題から救おうと思い忠言をした。それは間違ってはいなかった。だが、人の心を救うという点で、私は正しかったといえるかというと、間違っていたと言わざる負えない。この両方が救えるか、または、心を救える人間が友ができる。

心をすくい取れない人間は、他人を救うことは出来ない。なぜなら、心が動かなければ人が行動しないからである。いくら正しくても行動が伴わければ結果は出ない。つまり、私は友達失格なのだ。

私は自分が弱い人間だから、他人の弱さを理解できるはずなのに、それをしなかったことが私に友だちがいない理由なのだ。私が理解しなかったのは、私の心に苛立ちがあったからだ。自分よりも強いものが何故、自分の弱さに配慮しろというのか、ネコがネズミに自分の弱さに配慮しろとは滑稽ではないか、オカシイではないか、逆ではないかと思った。

だが、人の弱さが多様であり、強い猫であっても弱いところがある。そういう他人の弱さを理解すれば、私にも友ができるかもしれない。それは意外と簡単かもしれない。なぜなら私もまた弱い人間だから。

そして、その弱さからくる矛盾についても許そう。なぜなら、そう言う矛盾は弱い人間にはよくあることだから。私は、自分を強いと言いつつ、同時に自分の弱さにも配慮しろという暗黙のメッセージを送ってくる人間には冷たかった。私の哲学から言って、矛盾は正しさを追求する上で排除するものなのだ。私が子供に優しいのは、子供が強がっても弱いことは、あたりまえだと思っており、矛盾していても許容できたから。大人が強がっていて、実は弱い、それで他人に配慮しろと言ってくると、私は、それを冷酷に蹴っ飛ばすのが、私が友だちができなかった最大の理由だと思う。だが、大人もまた弱いのだ。故に矛盾する。それが許せる人間には友だちが出来て、許せない人間には友達は出来ない。