2014年1月24日、東京都知事候補の宇都宮健児氏が原発反対抗議デモにて、被爆者支援、東京電力問題、再稼働について語る。
宇都宮さん
舛添さん
- 過去に原発を推進していて「もんじゅ(もんじゅという名の特殊な原発の名前)は素晴らしい」と言っていたのに、都知事選では「私も脱原発です」といい、では、どういう脱原発なのかというと「30〜40年後に脱原発」という事で、全然脱原発じゃない。
- 「長中期的に原発に依存しない社会を作りたいが、いますぐゼロは無責任だ」
- 自分が10年で燃料費の問題は解決できるというのは、以前、このblogで說明しているのでそのページを以下に紹介する。ここには、日本の全消費電力と、そのコスト、そして、それをどのようにすれば、原発が稼働していた水準に燃料費を低減できるかデータを用いて說明している。
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- 2012年度の日本の発電量9236.1億kWhから見る原発の必要性
- http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20130924/1379952725
細川さん
- 「脱原発を再優先にする」「すべてをかけて戦う」
- 意欲や姿勢は言葉から強く出ている。多分、そこだけを見ると感動するのだが、それを実現する具体的な内容はなく、理念や哲学、姿勢など抽象的なものが多いのが気になる。
- <哲学・理念(エネルギーについて)>
- ・大量生産大量消費の否定
- ・腹7分目の経済
- ・多消費型から共存型へ
- 「原発の安全性の問題や核のゴミのことを考えたら、原発がいかに割に合わないものであるかというのは明白です。そういう原発に依存するよりも同じコストを掛けるのならば自然エネルギーなどに変えていく方がよほど生産的だと思います」
- 論旨は、明確で分かりやすい。現状の批判をして、それに対する自己の姿勢の切り返しも上手い。だが、それほどの熱意、意志があるのならば、何をするか具体論が出てくることで、その証明となるのだが、その部分は、「原発の再稼働にストップをかける」など、大方針的な主張が多い。ある意味、殿様らしいとも言える。だが、聞いていても、何がどうなるのかと具体的に考えてみると、不明な部分が出てくる話し方なので、ある種、勇ましいが、ぼやけた脱原発という感がある。多分、感動する人は、素晴らしい姿勢だと思うだろう。しかし、どのように原発を否定してくのかというところが、姿勢、方針、哲学、理念だけでは、伝わってこないのである。つまり、最も重要な行動に関する情報が、ぼやけていると感じる。多分、そこら辺は決まっていないのだろう。この種の主張のスタイルは、アドルフ・ヒトラーが使った手法を踏襲している。まず、現状を批判し、自己を正当化、その上で、自分はこうするとスケールのデカイ大方針をぶち上げる。すると聴衆はなにか素晴らしいことが起きるかのような錯覚に陥る。だが、その中身は、具体性が乏しく、ほとんど何も約束していないに等しい、その具体性について考えてみると、再稼働は多分、反対するのだろう、省エネも多分すると思う。自然エネルギーの推進もするだろう。だが、それを実現する制度改革、実施行為については、まるで触れられていない。「それ、全部やるっていうんだから、いいんじゃないの」という人もいるだろう。だが、ただ「やる」というだけだと、非常に規模の小さい対応か、楽な方法だが、副作用のある事をやったとしても「やったんだから公約を守った」という事になる。だから、具体的な約束が必要になってくるんだけど、細川氏の脱原発にはそれがない。
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- そこら辺の懸念について、より踏み込んだ記事として面白かったので紹介する。
- 細川元首相の都知事選立候補は運動を分断し特区と規制改革を受け入れさせるための「疑似餌」ではないのか: 五十嵐仁の転成仁語
まとめ
- 宇都宮氏、舛添氏、細川氏を比較してみた。3者の脱原発についての意見を考えてみると、舛添氏は、言っている事が脱原発とは言いがたい内容、細川氏は大方針は立派、しかし、具体論が弱い、宇都宮氏は、原発被害者をどのように支援するか、食品の安全基準の強化など、電力改革はどうするか、具体論が明確だったと思う。