SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

戦争経済と表現規制

戦争について考えていた。戦争になると、ミンチのようになった内臓、頭が撃ちぬかれた兵士、内臓が飛び出た死体、眼球が飛び出た死体、腐ってハエがたかって、人間がモノになっている光景。そう考えた時、それがリアルに表現されていたら、誰もが戦争をしたくないという結論になるはずだ考えると、表現規制とは何かというと、そういうものを市民に見せないようにして、戦争の危険性、悲惨さというものを覆い隠し、戦争経済を継続する為のものなのではないかと思った。実際、表現規制は、軍事大国アメリカからやって来る。

戦争が悲惨であるからこそ、それを忠実に表現することで、その悲惨さが分かり、戦争を抑止することに繋がる。実際、戦争に出た多くの兵士はPTSDになって帰国する。要するに戦争がいかに悲惨で危険なものかということが、それだけで分かる。その何分の1かの表現をするだけで、世界中の戦争は終わってしまう。なぜなら、あまりにも悲惨すぎて、それをやることに何の価値も見出さなくなるから、

実際の戦場を知っている軍人ほど、戦争をしたがらない、それは現実が分かっているから、そう言う事を考えると、表現規制というのは最悪の偽善だと感じる。表現規制とは、戦争をするために、人々から、戦争の悲惨さから目をそらし、架空のサクセスストーリーを作り上げ、あたかも、戦争が勇者の戦いのように描くが、戦争とは勇者の戦いなどではなく、殺戮の連続だという現実、そして、人間を死体という「モノ」に変えてしまうもの、そういう現実を見ると、誰も戦争をしたいとは思わない。軍隊の存在すら減らしたいと思うだろう。そうなってしまっては、軍産複合体はとても困るので、表現規制を一生懸命やって、人々から戦争の悲惨さを隠そうとする。でも「私達は、戦争をしたいので、戦争をリアルに表現しないで下さい」という本音を言うと、通らないので、スケープゴートを用意して「こんな悲惨なものを子どもたちに見せて大丈夫なのでしょうか?」という…あたかも、子どもたちを守るかのような方便を使って表現規制をする。

そういう魂胆が見え見えなのである。私が表現規制に反対というのは、そう言う偽善を否定するためである。この間、はだしのゲンを子供に見せないようにしようとした教育委員会があったけど、それって最悪の偽善だと思う。はだしのゲンを読んだからこそ、原発に私は反対している。あの悲惨さを見たら、どう考えても核を肯定する気にはなれない。
 
はだしのゲン 第1巻(大抵の図書館にはおいてあるはずだ)