SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

妥協したがる自分の心理

妥協したがる自分の心理

妥協の目的、これだけ妥協したんだからという見返りを求めていた自分の甘さに気づいた。安易に妥協しても、相手が譲歩してくれるとは限らない。自分が妥協することと、相手の意思は無関係。譲歩を引き出すためには、相手が譲歩しなければいけない状況を作ってからでないとダメ、コチラが一方的に妥協して、向こうが答えてくれるという甘えは通じない。妥協したがったのは、自分が妥協すれば、相手も答えてくれるという甘さがあったと思う。そう信じることで、面倒な事を避けたかっただけなんだ。

私が自分の欲しい条件を徹底しなかったのは、そういう事をした時に、ワガママだとか、なんとか非難されたからだと思う。しかし、私の目的を達するためには、それが必要な条件であった。私は、その条件を知っていたからこそ、それを選択しようとした。しかし、異常とも言える抵抗に会い、それに屈したのが私だった。だが、目的を達するための条件整備を徹底するのを怠ると失敗する可能性が高くなる。私は相手と衝突するという面倒なことを避けたいばかりに妥協することで、その可能性を上げてしまっていた。

そういう目算と現実が違ってしまうことは、理論と現実の違いに似ている。理論と現実が違った時、ニコリとするのが理系だという。それは、理論と現実の隙間に有る真実に対する探求心、あるいは好奇心ゆえにそうなるのである。「これはどういうことなんだろう?」という疑問。私が強い時というのは、そう言う失敗をした時に、ニコリと笑い、改良を続けていくところにある。ナーバスになって挫けてしまうのは、弱い時の私だ。なぜ、失敗をした時に笑えるのかというと、そこに真実が隠されているからだ。その真実の断片を拾ったからこそ、笑うことが出来る。つまり、真実への探求ゆえにそうなる。失敗とは、真実の探求への入り口なのだ。この門前で挫けてしまうのが弱い時の私、そこを堂々と笑って通りすぎるのが強い時の私なのだ。私は結果を求めようとすると、失敗するたびにナーバスとなり、弱くなるの対し、真実を求めようとすると、失敗しても笑って通り過ぎて改良を繰り返していくので強い。私は、どちらかと言うと、結果を求めることよりも、知ることに意義を求めるタイプらしい。力の弱い私らしい考え方だと思う。

結果を求めるのには、力がいる。故に力の弱い自分には望めない、しかし、真実を知るのに力はいらない。それが私を真理へと駆り立てるのだろう。しかし、実は、その時の自分のほうが、一番力を発揮するというのが矛盾している。力に対しては絶望しているが、真実を見つけることには絶望していない。その差が私に力を与えている。恐らく、私の場合、真理を探求する過程で結果が生じるのだと思う。